中井御霊神社の「おびしゃ祭り」

かつては江戸近郊の農村で広く行われ、弓矢で的を射てその年の豊凶を占ったり悪霊を駆除して、その年の豊穣と安産を祈った行事が今なお新宿区に守り伝えられている。「おびしゃまつり」がこれで、歩射(ぶしゃ)がなまって、びしゃ(備射)になったものと言われている。弓を射る祭りでは流鏑馬(やぶさめ)が有名だが、馬に乗らないで弓を射るものもありそれが歩射だ。歩射は、もともとは宮中から始まり、淳和天皇の時に始められ明治維新まで続き正月17日には必ず宮中で歩射が行われていた。その風習が民間に移り、現在でも中井御霊神社、葛ヶ谷御霊神社などに伝わっている。

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神前に「分木」(中)と松竹梅の小枝を大根に挿し鯛を盛り(左)、お宝と呼ぶ大根で形どった陽物(右)が水引をかけ供えられている。
祝詞、玉串奉奠などの祭儀が終わると神官が拝殿から出て的をお払いに行く。
二人の頭家(氏子の中から選ばれた年男)が羽織袴に威儀を正し、口上を述べる。隣の神官は95歳。神前には弓矢が供えられている
右側の頭家が一の矢をつがえ東北鬼門の空に「エイッ」の掛け声で矢を放つ。これに応え、左側の頭家が「オウッ」と矢を射る。鬼門を射終ると、次に的を狙ってそれぞれが射る。
 
昨年の頭家をはじめ氏子総代全員が矢を射て、最後に宮司が鬼門と的に向かって矢を放つ。これらの矢はすべて家内安全として参拝者が持ち帰る。弓はエゴの木、弦は麻、矢はメダケの手作り弓矢でなかなか的には当たらない。
 
中井御霊神社  武蔵風土記に「五霊社はおびしや祭を行う。又六の日には安産の祈祷をなす。重要文化財「分木」に永禄六癸亥年御神宮、五霊社とあり、毎年一月十三日「備射」祭の方神事が伝わり、矢を射て豊饒と安産を祈願している。
 
分木 中井御霊神社の的を描く分木には永禄6年(1563年)の漆銘が入っている。16世紀半ばのものが21世紀になってもまだ使われているのだ。そしてこの分木には、元和6年に葛ヶ谷に古い分木を分けたと書かれてある。このことから16世紀半ばごろには、このお祭りは中井、葛谷両方の御霊神社で行われていたことになる。

備射が終わると各総代に膳が供され、タツクリ、タクアン、イワシがもられ、箸はカツの木を削ったものだ。この間に社宝の分木・鯛・陽物が押し頂き一同に回される。分木は前年の頭家から今年の頭家に渡され、式後、神社で保管する。これらの儀式が終わり総代の古老が「かかる世に住める民とて楽しけり」と謡い、神職が「山河草木国土ゆたかに千代万代」としめ神事が終わる。参拝者には用意された甘酒が振舞われる。
 

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 拝殿の約20m先にあって3重丸の円の中に2羽のカラスが描かれている。この的の円は「分木」という竹を2つに割り、先端に穴をあけ、ふちに切り込みのある一種の「コンパス」で描かれたものだ。何故カラスかは、蒔いたタネを穿り出し畑を荒らすことに由来する。
 
中井御霊神社のおびしゃ 中井は坂の多い
町だ。西武線の北側に沿って歩くと一の坂から
八の坂まで名前がついていてその八の坂を上った所に中井御霊神社がある。おびしゃの祭場は弓矢の絵が描かれた白幕が張られていて定刻2時になると付近の住民達が集まってくる。やがて、錫丈を先頭に木遣りが神官、氏子、頭家たちを先導して入場してくる。拝殿内で儀式が進められるが齢95歳という神官がひときわ寒かった今日のおびしゃを元気に司祭している。弓引きの神事に移り、手作りの弓矢ということもあるのだろうが、弓を引くことは難しいと見えて1人の頭家の矢は中々飛ばない。参列した総代全員が射るのだが中には的に命中する人も居た。氏子達は射られた矢を我先に拾いに行く。家内安全のお守りにするためだ。その頃から境内では温かい甘酒が参列者に振舞われ、寒さに凍えた体を温めてくれる。拝殿ては総代の1人が謡い、全員が唱和し最後に手を締めておびしゃ祭りは終わるのだが450年も前の道具を今なお使い古式豊に行なわれる神事に言い得ぬ感動を覚えながら境内を去った。
 
 
 
 
1月13日   中井御霊神社(℡03-3950-4138
            新宿区中井22916(西武新宿線、大江戸線・中井)

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