七草がゆ

春の七草は古来災いを去り、長寿富貴を得る植物として食されてきたが、わが国では七草の日の早朝、七草を粥に入れて食べる古い風習がある。百花園では明治の中頃から松の内のお飾りとして、「園で栽培した春の七草」を七草籠にして宮中に献納している。この日、百花園内茶亭「さはら」で園訪問者に七草粥を提供しているが七福神巡り最終日と重なって大勢の人が七草がゆを賞味している。墨田区法恩寺ではこの日が先祖上人の命日に当たることで、その供養と人々の無病息災を願って、10年以上も前から七草がゆを無料で振舞っていて、時代の変遷と共に次第に廃れて行く古い七草行事を後世に伝える貴重な存在となっている。

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寒空に暖かい粥をすする
 
百花園の七草がゆ(700円)
 
 
七草籠  向島百花園の「春の七草籠」は、明治の中頃から松の内のお飾りとして宮中に献納しているほか、一般にも初春を寿ぐお飾りとして頒布している。3300円
 
百花園の七草がゆ 七草は七福神巡りの最終日で江戸で名高い隅田川七福神の発祥の地として知られる百花園を訪れる人が多く粥の売れ行きもなかなかのもの。福禄寿は1~7日の間だけ園に祀られる。
 
七草粥に舌鼓
法恩寺の七草がゆ(無料) 
町内や檀家の人のボランテイア
 
法恩寺の七草がゆ  午前11時になると読経が始まり約15分間、後、上人のお話が終ると檀家や町内のボランテイアで準備された七草がゆが、本堂に設けられた席に次々に運び込まれる。最近は家庭で七草がゆを作らないので、毎年法恩寺で粥を頂いているという年配の人が多い。
 

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七草粥の歴史 昔、わが国で暦が取り入れられる以前は七日正月という中国の人日(じんじつ、七日には人を占い刑は行わない風習)を取り入れた日があった。室町時代頃から正式行事として形式が整い、徳川幕府は五節句(1/7人日の節句、3/3上巳の節句、5/5端午の節句、7/7七夕の節句、9/9重用の節句)の一つとして、将軍、諸侯が七草粥を食べる公式行事になった。然し朔日(つぃたち)正月が取り入れられてからは、占いから「七草粥」に重点が移り、この日に「七草粥」を食べると邪気が払われ、無病息災でいられるという慣習になって行き元旦からの正月が終る直会の日という意味になった。また、七草粥を食べるのは、おせち料理や酒などで酸性になった胃などの内臓を青物で中和するための生活の知恵だったと言う。
 
七草がゆは現代の栄養学的に見ても大変な“優れもの
芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁婁(はこべ、はこべら)、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)。ハコベ(ラ)、スズナ(カブ)は昔から腹痛薬として使われ、スズシロは消化促進、セリは保温と高血圧予防になる。スズナの葉にはビタミンCが、スズシロ(ダイコン)の葉にはビタミンA、ナズナにはカルシウムとカロチンが多く含まれている。この7種を食べることで、おせち料理に疲れた胃を休め、緑黄色野菜の少ない冬場に必要な栄養価を取ることができた。
 
向島百花園  約200年前の文化・文政時代、仙台出身の佐原鞠塢によって開設された。江戸庶民の行楽の場として盛況を得たが明治にうつり、数多くの工場が周辺にできるなどの環境の変化と度重なる隅田川の洪水により疲弊した。大正時代初期に息を吹き返し、昭和8年、国指定の「名勝・史跡」となった。その後、百花園は東京市に寄付をされ、昭和14年に東京市の公園として再開園された。昭和20年3月の東京大空襲にで全園焼失したが、昭和24年に復興園地として再開され現在に至っている。
 
法恩寺  開基は太田道灌公、長禄2年(1458) 江戸城築城にあたり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立。後、法恩寺と改称。 元禄8年 家康江戸城入城後、現在の地に移された。 昭和20年3月 戦災に遭遇、焼失。 昭和29年10月 檀信徒並びに地元の協力により再建、本堂が落成された。
 
 
 
1月7日   向島百花園(03-3611-8705
              墨田区東向島、3-18-3(東武伊勢崎線・東向島)
法恩寺(03-3622-8267
墨田区太平1-26-16(JR総武線・錦糸町)

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