禰宜の舞

交通量の激しい八環に面し、駅で聞いても誰も名を知らないこの神社の例祭に「禰宜の舞」が奉納されている。舞手は多摩川を挟んだ川崎市にある白旗八幡神社の神職で、豊作と厄払いの神楽を、面と衣装を変えながら一人で5座を舞う。締太鼓の調べだけで舞うため地元では「デデンコ舞」とも呼ばれている。昭和初期ごろまでは、多摩川両岸の神社など約20ヶ所で舞っていたと言うが、戦後、東京側では天祖神社だけに残った。天祖神社の創建は江戸時代の初期と伝えられ、記録によれば、禰宜の舞は少なくとも江戸後期から奉納されているようだ。

スポンサーリンク

四方祓いの舞  右手に鈴、左手に御幣を持った神官装束の舞人が、巫女一人が打ち鳴らす太鼓の響きに乗って舞い、舞庭を清める。舞庭は境内の一角にゴザを敷き、四隅に竹を立てて注連縄を張っている。
 
猿田彦命  最初に舞われる神楽で鈴と鉾を手にしている。
 
天鈿女命(あめのうずめのみこと)鈴と御幣を手にして舞う。
 
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)舞の終りに魔よけの矢を射る。
 

スポンサーリンク

禰宜の舞  禰宜とは神職名の一つだが一般には神主、神官、社家などとともに神職の総称として使われている。昔は官国弊社で判任官待遇の神職で宮司の次。宮司の命を受け祭祀に奉仕し事務を司った。禰宜の舞が何時頃から奉納されるようになったか定かでないが、江戸後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」の中に白旗八幡宮の神職が近隣の村々に祭りがあるたびに豊作と厄払いの神楽を行ったことが記録されている。
 
嶺町の地名  嶺とは多摩川北部の段丘(国分寺崖線)上の高地を言ったもののようで、周囲よりやや小高い地形になっていたことからつけられた地名といわれている。また、一説によれば、西嶺町の観蔵院が、俗に「峰の薬師」と呼ばれていたことから、これが地名になったともいわれている。町名は嶺地区西部の意。
 
4月21日   天祖神社(℡03-3720-3333御嶽神社)
(大田区西嶺町4-1、東急池上線・御嶽山)
 
\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ