猫地蔵まつり

猫寺の別名を持つ自性院には、日暮れに道に迷った大田道灌を当院に案内して危機を救い、戦いに大勝利をもたらした黒猫を供養して建てられた地蔵尊「道灌招ぎ猫」と、その後数百年を経た江戸中期にすし職人が、ある貞女の誉れを後世に伝えたいと刻んだ「猫面地蔵尊」の2体が境内の小堂に祀られている。家内安全、所願成就にご利益があると、江戸の昔から人々に厚く信仰されているが、この小堂は節分の日だけに開帳されることから、猫地蔵祭りと呼ばれている。この寺の節分祭には、年男達が扮した七福神が登場するのが呼び物で、行列を組んで賑やかに町を練り歩いた後、護摩焚きを行い福豆をまいている。

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七福神行列と猫地蔵堂の内部 七福神は年男たちとともに寺を出発して町を練り歩く。自性院は450年前からの歴代住持名が判然としており、創建はそれよりかなり以前に遡ると考えられ、古くから人々の信仰を集めている。猫地蔵堂は節分の日に限って開帳される。
 
 
落合の地名 川と川とが合流するところを「落合」と言うが、新宿区落合は、神田川と妙正寺川との合流点であることからといわれている。その西部にあることから西落合、中央部にあるので中落合、神田川の下流部分にあるので下落合、上流部にあるので上落合となった。中井は、下落合と中落合の中間にあるので両落合の中に居住するからとも、井戸が多かったからともいわれている。 

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新宿の地名由来  かつて新宿は、内藤新宿とか追分新宿とか呼ばれていた宿場町で、その名は「内藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味していた。内藤氏は家康の関東移封に先立ち、伊賀組百人鉄砲隊を率いて、国府道(後の甲州街道)と鎌倉街道の交差点となっていた現在の新宿二丁目を中心として陣屋を敷いて警備にあたり家康が江戸入城の後、布陣していた新宿の地をそのまま拝領した。当時日本橋を起点とした甲州街道の最初の宿場町高井戸までの距離はあまりに遠く不便なため、その中間に新しい宿場町を開設したが、その場所が内藤家の屋敷前であったことから新しい宿場町の意を込めて「内藤新宿」と呼ばれるようになったものだ。

節分の日   自性院(℡03-3951-4927
(新宿区西落合1-11-23、大江戸線・落合南長崎

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