千束稲荷の「初午祭(二の午)」

2月の二の午の日、千束稲荷神社で初午祭が行われる。五穀豊穣を祈って行われるこの祭には、「地口行灯」が100余りも飾られることで知られている。地口行灯は、諺や芝居の台詞などをもじった面白可笑しい洒落文句とそれにちなむユーモラスな絵が書かれた行灯だ。江戸時代には稲荷神社の数が多く、地口行灯は稲荷神社の初午祭には欠かせないものだったが、現代ではその風習が廃り見ることが出来なくなっている。千束稲荷神社の地口行灯風景は江戸の風俗と情緒を今に伝える貴重なものとなっているので何時までも続けて行ってもらいたい祭りだ。

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千束稲荷神社→  祭神、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、4代将軍家綱の寛文年間(1661~1672)創設。江戸時代、浅草一円を千束郷と称し南北2社の稲荷社があり千束稲荷神社はその北社だ。その後、千束郷の一部が龍泉村となり村の氏神となった。樋口一葉の「たけくらべ」ゆかりの神社としても有名で、「八月廿日は千束神社のまつりとて、山車屋臺に町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内までも入込まんづ勢ひ…」と描かれている。
 
地口行灯(じぐちあんどん)  地口とは俚諺・俗語などに同音または音声の似通った別の語をあてて違った意味を表す「だじゃれ」で、例えば、「かかさまや此うら口の戸をあけて(高砂やこの浦船に帆を上げて)」の類、いわば一コマの漫画だ。江戸の稲荷神社では初午縁日に、行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた地口行灯を境内に飾る風習があり宝暦、明和の頃に盛に行われた。地口絵には保存された原画があり、これを忠実に描けるのは現在では「凧絵師」で東京には2人しかいない。それに「だじゃれ」が現代では分かり難くなって来ているので地口絵はだんだん寂れて行く運命にある。江戸情緒を伝えるこの初午祭と地口行灯は是非とも何時までも続けていって貰いたいものだ。
 
千束の地名  稲が千束取れたことからといわれているが詳細は不明。平安期にも名の残る古い地名である。名の残るくらい全くの田んぼに遊郭が誕生したのがのちの吉原である。
 
竜泉の地名  むかしこの地に竜泉寺という寺がありこの町名がついていたらしいが、詳細は不明。昭和41年に、竜泉寺町、金杉上町と金杉下町の一部などを統合した。
 

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初午まつり風景  境内には100本あまりの地口行灯がずらりと飾られ、午後4時に拝殿内で祈願式がおこなわれる頃には、行灯に火がともる。夕闇が迫る頃になると境内が幻想的に照らし出されて壮観だ。江戸時代の初午祭の宵は、きっとこんな雰囲気だったのだろう。「たけくらべ」ゆかりの神社なので氏子の人たち、一つひとつの行灯に見入っている人、写真を撮りにきた人たちが訪れていたが、夕闇前から生憎の大粒の雨となり参詣者たちは早々に引き上げてしまった。地口行灯を飾る昔風の初午祭は長い中断の時代を経て、1970年代に復活されたという。行灯には1本ずつ、その奉納者の名と祈願内容とが側面に記されている。「○○商店、家内安全・交通安全」といった具合で、それぞれの行灯にスポンサーがついている。申し込むのは主として氏子や氏子の商店や会社のようで、江戸の風俗を伝えるこの祭りも地元住民たちによって支えられているのだ。
 
狐の豆いり
おかめはちまき
お染の姿しばしとどめん
 
二の午の日   千束稲荷神社(℡03-3872-5966) 
台東区竜泉2-19-3,地下鉄日比谷線・三ノ輪)
 
 

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