日暮里諏方神社祭礼

本祭は3年に1度(2008)で金曜日は宵宮、土曜日には町内神輿の渡御があり、日曜日の神幸祭に呼び物の大きな神社神輿が氏子地域を巡幸する。江戸時代に三代将軍徳川家光により社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰を集め、旧暦7月27日の祭礼では、囃子屋台・山車をひきまわし、神輿を神田芋洗橋まで担ぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒を供えて帰座したと伝えられている。お囃子は地元の“鞆絵(ともえ)太鼓”。陰祭には土曜日は各町会での宵宮、日曜の午後に西日暮里から日暮里駅前までの連合渡御が行われる。境内には沢山の露店が並び大勢の祭り客で賑わう。

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日暮里諏神社  創建は元久2(1205)年で800の歴史を誇る神社。豊島左衛門尉経泰が勧請、文安年間に太田道灌が神領を寄進し、徳川時代神領を賜わり、寛永12年に社殿を現在の地に遷座。日暮里・谷中の総鎮守の神社として信仰を集めている。諏訪大社の分社で祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)。「諏訪」ではなく「諏方」と表すのは、中世から近世にかけての表記に倣ったもので全国の数千に及ぶ信州、諏訪大社分社の中で「諏方」と書く神社は数社しか無い。当時は「谷中生姜」の産地としても知られ、農家の人々が豊作の祈願に訪れたという。
 
諏方神社宮神輿  台座4尺3寸(130)重量は推定800キロ、 建造年度は不明だが嘉永3年に修復の記録がある。延軒屋根・胴太平屋台造り、台座が異様に大きい典型的な古神輿が谷中、日暮里地区を練る。
 
諏方神社神幸祭  谷中5丁目付近。神幸祭高張提灯の後に役員が乗った人力車が続いている。この前にはお囃子の屋台、稚児船に鎮座した神官、猿田彦が行列を組み、神社神輿ははるか後ろに見える。

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地元の“鞆絵(ともえ)太鼓”が囃子屋台で
稚児船に鎮座する神官
道案内をつとめる猿田彦命
 
神幸祭神輿渡御風景  朝から降っていた雨がやみ7時半から神幸祭発輿式が行われる。境内には大きな古木が鬱蒼と繁りこの神社の歴史を物語っている。参道、鳥居前通りは狭い上に露店が並んでいて、4尺3寸という神社の大神輿は通ることが出来ず、御殿坂通り付近までトラックで運び、そこで担ぎ棒を取り付けて台座を組み、御殿坂通りを突き切って谷中5丁目辺りから担ぎ始める。神幸行列の先頭は榊を捧げ持った神官、続いてお囃子の屋台、稚児船に鎮座する神官、猿田彦命、神幸祭高張提灯、総代が乗る人力車、町会高張提灯、そして呼び物の神社の大神輿、しんがりは馬上の神官となる。諏方神社の氏子地域は日暮里地区、谷中地区合わせて25町会に及び、4尺3寸と大きく重量が1トン近いこの大神輿をすべて担いで巡幸することは難しく、途中、台車輸送を交えながら進んで行く。
 
日暮里の地名  ここ諏訪台からは遠く筑波山や隅田川などが見え、江戸時代から景勝の地として知られていた。この一帯は当時「新堀(にっぽり)」だったが、日が暮れるまでいても飽きない「日ぐらしの里」と呼ばれたことから、「日暮里」となったという。ところで、諏方神社の神主さんの苗字は「日暮(ひぐらし)」さん。明治の神仏分離の時に地名から頂いた苗字とのこと。
 
8月27日前後の日曜日   諏方神社(℡03-3821-4275
             荒川区西日暮里3-4-8(JR、千代田線・西日暮里)

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