野辺の天王祭と神楽

牛頭天王を祭神とする野辺八雲神社は今から約550年前の創建という古い歴史を持つ神社だ。その祭礼は毎年7月25日直近の日曜日で午前9時から式典が行われ、子供神輿、山車が午前10時から、大人神輿は午後1時に宮出しされて氏子町会を巡幸する。この祭礼には野辺の神楽が奉納されるが、中断の後、昭和48年7月の祭礼で復活し野辺地区の人だけで伝承している。当日午後7時からは素人演芸大会も催され、かっての農村地域に残る「村祭り」の雰囲気が味わえる印象的な祭りだった。

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野辺八雲神社祭礼を見学して   八王子祇園祭りを取材してから野辺に来たので宮出しには間に合わなかったが、神輿も山車も町内巡幸の際に神社前を通過すると言うのでこれを待つことにした。境内は暑い日中ということもあって人影も疎らだが時々小、中学生や幼児連れの人たちが食べ物屋の前を賑わせている。午後3時半、賑やかなお囃子の音が近づいて来て、神社鳥居前を通過する。子供神輿、それに子供囃子山車、そして大勢の子供や氏子たちに引かれた大人の囃子山車だ。ここの氏子は裕福なのか、木の匂いも新しい子供囃子山車まで持っていて、社殿右側の参道から宮入りした2基の山車が暫くは賑やかなお囃子の競演を続ける。

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大勢の子供達に引かれたお囃子山車 野辺の囃子の種類は重松囃子で、明治10年ごろ牛浜村から伝えられたものといわれているが、牛浜村の古老によれば、最初は野辺から伝承されたとものいう。明治大正期には「野辺囃子」として近隣にその名を轟かせていた。昭和22年に青年団から脱会し「野辺はやし連」が発足した。
 

珍しい子供囃子山車まで持っている

神社風景 34度という日中で人影も疎ら
 
野辺の神楽  野辺八雲神社の例祭には二宮から神楽師が来て、野辺の里神楽として祭神・素盞雄命の大蛇退治の神楽を奉納していたが戦後になって二宮神楽が衰退すると共に絶えてしまっていた。その後、祭礼に神楽を上演したいという氏子達の願いが強く、昭和40年代に保存会の代表者井草仲次郎氏(連絡先・井草様の実兄)らが中心となって、当時80才だった老神楽師「山下亀太郎さん」を招いて神楽を習った。氏子有志等が熱心に稽古に励んだことが実のってようやく復活にこぎつけ最初に上演したのは昭和48年7月の八雲神社の祭礼で現在では野辺地区の人だけで神楽を伝承している。演目は①三座三番叟②式三番③大蛇退治④宮の式⑤山彦・川彦⑥弓取式⑦真剣貢の7座で神代神楽と呼ばれる。
 
神社前で水休憩   大大鼓の音が聞こえ始め大人神輿が鳥居前に到着したので急いで鳥居前に。高張り提灯と太鼓の後に大人神輿が続き、鳥居前で暫し水分補給の休憩をとっている。近隣から応援が見えているらしく鳥居前の日陰は道路一杯大勢の担ぎ手達で溢れている。約15分後、神官のお祓い、拍子木の合図で神輿が上がり、再び町内渡御を始める。神楽殿に戻ると1人舞に変っていて程なく終了、大蛇退治が始まるところだった。東秋留というかっての農村の面影を其処彼処に残しているだけに、典型的な「村祭り」に名残を惜しみながら家路についた。
 

野辺八雲神社の神輿 社前の説明書きには昭和62年購入重量180貫
とあり台座寸法は書いてなかったが多分3尺2~3寸か。

野辺八雲神社  長禄年間(1457~1460)京都祇園牛頭天王を勧請し野辺新開院が別当として毎年6月15日を祭日としていた。明治維新の大改革で神仏併合が禁じられ八雲神社と改称、明治6年村社に列格、以後祭礼日を7月25日とする。
 
 
7月25日直近の土,日曜日   野辺八雲神社(℡042-558-3103野辺囃子神楽保存会井草様)
あきる野市野辺316(JR五日市線・東秋留)

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