奥戸天祖神社例大祭

奥戸天祖神社では幕末嘉永の頃から収穫祭として大しめ縄神事が行われている。宵宮の土曜日、氏子各戸から持ち寄った稲藁を用い、 4間2尺(約7.9m)の大しめ縄を作り、悪魔祓いに旧村内を担いで回り、巡回後は神社正面にかけるというもので葛飾区の無形民俗文化財に指定されている。日曜日が本祭で2009年は3年に1度の神社神輿が渡御し午前8時半宮出しされ、午後4時に宮入する。午後2時半からは女神輿も出御し、各町会神酒所から子供神輿が午前中渡御する。

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大注連縄縄神事  神社には祭礼の決算記録である「年番帳」が嘉永年間(184854)以降保存されていて、それによると、明治27年までは「舞社神事(舞社とは大しめなわのこと)」として2月1日に行われていたが明治28年以降、氏子達の取り決めで10月に行われるようになったとある。古くから長さ4間2尺の「雄じめ、雌じめ」と呼ばれる<大ごぼうじめ>2本を作り、1本は社前の榎の御神木に納め、1本 は氏子の若者が担いで悪魔祓いとして村中を戸別に廻って祈祷する慣例があったが、現在は短い<ごぼうじめ>1本を神社に奉納するの みとなった。その後正面鳥居に掛けられ、さらに平成7年には新たに氏子によって石柱が立てられここに掛けられるようになった。大しめ縄に使う稲藁は氏子の各家から持ち寄って作られていたが、都市化によって近辺では水田はなく千葉県から入手している。大注連縄作りは宵宮の午前中から行われ完成は夕方6時頃になる。出来上がった〆縄はお払いを受けて石柱の台座に乗せられて祀られる。しめ縄の前で神酒をいただき家内安全無病息災を祈願する。右は奉納された大注連縄→ 拝殿前の2本の石柱上の台座に、鳥居のように架けられて来年のお祭りまで1年間、氏子の家内安全、無病息災を守る。

 
大注連縄作り全景  大注連縄作りは宵宮の土曜日午前中から行われる。両側に赤白幕が張り巡らされた参道から鳥居をくぐると、境内いっぱいに敷き詰められたシートに座った揃いの青の半纏を着た女性達が10人くらいづつ輪になって、作業をしている光景に、さすが区の無形文化財に指定されている行事と感心させられる。大注連縄のもとになる、継ぎ藁や藁紐を作っているのだ。手はせっせと動いているが、お喋りもさかんなようでみんな楽しそうだ。
 
大注連縄作り  作られた継ぎ藁や藁紐は真ん中で大注連縄を作っている7~8人の男衆の所に運ばれる。ここでは直径20センチ位のステンレスパイプに藁筒を巻いている。藁筒は3本あってパイプに巻いては、それぞれ継ぎ藁を差し込んで筒を伸ばしまた巻くという作業が繰り返される。巻き終わった所には藁が解けないようにと主に年寄り連が跨っている。この作業は夕方暗くなるまで続けられ、出来上がったらお神輿を担ぐように近所を廻ってアクマバライをして、拝殿前に立てられている2本の石柱の上に載せられる。
 
神社神輿の宮出し(日曜日)  東京の神輿祭りもそろそろ終わりに近づいたせいか、3年に1度の宮神輿渡御ということもあって境内は応援睦の人たちで溢れている。午前8時、発興祭が始まるが、この神社では宮司が1人で、司会役も兼ねながら神事が進む。宮司一拝、お祓い、神輿の御霊入れ、祝詞奏上、玉串奉奠が済むと祭礼委員長達の挨拶があり、乾杯、午後から出御する女神輿を別の場所に移して午前8時半、手締めとともに神輿が上がり宮出しだ。神社神輿は3年毎に出御、台座3尺(92)昭和初期に作られ製作者は不明だが、土地の人に聞くと女神輿と同じく後藤直光昭和2年の作ではないかというが定かではない。龍を廻らせた巴紋の延軒屋根、勾欄造り、胴羽目・鳥居・台座までもの総彫神輿。
 
奥戸天祖神社  当社はこの地が葛西御厨であった頃、伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島両神宮の2神を勧請して、三社明神と 称し、村の鎮守としたものと思われる。江戸時代には寛永18年(1641)以来、8回にわたって再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和49年の造営 である。
 
10月10日前後の土・日曜日   奥戸天祖神社(℡ 03-3607-5490  
          葛飾区奥戸2-35-16(京成線・京成立石、青砥)

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