おめんかぶり

正しくは「二十五菩薩来迎会」という、浄眞寺のおめんかぶりは3年に1度行われ、東京都の無形民俗文化財に指定されている。念仏行者の臨終の夕べに、阿弥陀様が25人の菩薩さまをしたがえて西方浄土からご来迎になるという、浄土の教えを行事化したものだ。開山呵碩(かせき)上人が、すべての人々が念仏を唱えられるようにとの願いから考えだして300年経つという。九品佛の本堂を現世、上品堂を浄土に見たてて、その間に懸橋、白道をかけ、25の菩薩に扮した信者が金色の面、光背をつけ、衣装をまとって練り渡るので、「おめんかぶり」と呼ばれる。

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仏菩薩の来迎 練り行列は3度行われ、面をつけた菩薩は前が見えないので付き人がつき添い、暑いのでさかんに団扇で風を送っている。開山珂碩上人は優れた彫刻家で、18才で發願、51才で完成した九躰の阿弥陀如来像は九品佛と呼ばれ三佛堂に三躰づつ納められている。
 
楽人を先頭に「来迎」 九品(くぼん)の阿弥陀仏を安置してある三仏堂を極楽浄土・彼岸とみなし、ご本尊の釈迦如来を安置してある本堂を娑婆・此岸とみなしてこの間に35間の来迎橋を架ける。三仏堂から楽人を先頭に渋谷御花講中の人たちが歌う「来迎和讃」にあわせ冥加金を払った信者達が金の衣に金の面をつけ25菩薩に扮して渡る。
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「芝枯れの名号」 3年に1度のお面かぶりの時に日干しにする大掛け軸で南無阿弥陀仏の1文字の直径が2mという大きなもの。日干しにすると名号の形に下草が枯れるということから付いた名前。
 
 
奥澤の地名  地形的に奥まった沢地であったことから、その名がついたといわれる。江戸中期に奥沢本村が成立し、その後奥沢新田村が開発された。
 
世田谷の地名  古くは平安時代の文献にも見える名。往時勢田郷という村落で、その勢田のうちの谷地であったためについたという。江戸期には世田ヶ谷村として成立しており、明治22年に周辺7つの村と合併して世田ヶ谷村の大字となり、昭和7年の世田谷区成立の際に世田谷と「ヶ」が省かれた。
 
8月16日   浄眞寺(℡03-3701-2029
(世田谷区奥沢7-41-3、東急大井町線・九品仏)

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