大的式

大的式は小笠原流で修行を重ね選ばれた者が、神前または大勢の人々の前で弓矢の徳威により天下の邪悪を祓い清める神事だ。この儀式には天下泰平、国家安穏、家内繁盛などを祈念する動作が多く入っていて、年の初めや神事の始めなどに行われる。大宮八幡宮では昭和43年から年始の除魔神事として蟇目の儀とともに大的式が奉納されている。また、平成18年秋の大祭から木馬を使っての「騎馬の形」も合わせて行われている。なお、秋の例大祭には三々九手挟式または草鹿式が奉納される。

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蟇目の儀  大的式に先立ち蟇目の儀が行われる。蟇目とは矢の先につけた蟇目鏑矢のことで木を挽いて削り、その形が蟇蛙(ひきがえる)に似たところから蟇目といわれている。射ると風を切り「ヒュ-」という音を発する。その音によって魔性を退散させるのだ。例年小笠原流第31世家元小笠原清忠氏によって行われる。
 
蟇目の儀が終わると大的が張られる
「大的式始めませ!」の号令に「オウ」と答える
前弓の控え席に着座している太郎・五郎・四郎
「太郎」「三郎」が介添えともに射むしろに進み、先ず前弓の太郎から的を射る。続いて後弓の三郎が射るのだがそれぞれが2本づつ射る。
騎馬の形。木馬は替え添えによって時計回りに回され馬上の騎手は回っている時に矢を射る。
 
大宮八幡宮  祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、鎮守府将軍源頼義公が前九年の役に赴く途次、この地で八条の白雲の瑞祥を見、奥州平定後の凱旋のおり、康平六年(1063年)京都・石清水八幡宮の御分霊を勧請し創建。武蔵三大宮の一つ「多摩の大宮」と称された。
 

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大的式  前弓・後弓の2手に分かれた6人の射手が約40㍍離れた5尺2寸の大的を交互に矢を射る。約1500年前清寧天皇が射を行わせたという記載が『日本書記』に載っており、『続日本書記』には仁明天皇が承和元年(834年)に射礼を自ら行なわれた旨の記述がある。当時の射礼は正月17日に宮中の儀式として行なわれたもので武家としての大的式は、源頼朝が文治5年(1189年)正月2日に行い以来毎年正月4日に執行されたが応仁の乱以後衰微した。徳川吉宗の命により小笠原平兵衛常春が復興し、その後毎年正月17日に吹上の庭園で行なわれるようになり現在でも、この日に明治神宮の萩のお庭で厳粛に行なわれている。
 
大的式見学記  午前10時開始というので9時半に会場で待っていたが、10時からは本殿で修祓の儀が始まり終わって会場に入場して来たのは10時半だ。宮司を先頭に小笠原家当主が大勢の各役を従えそれぞれの場所に着座する。大的式に先立って蟇目の儀が行われる。小笠原当主による魔障退散の蟇目で、矢の先につけた蟇目鏑矢の形が変っていて射ると風を切り「ヒュルヒュル」と音を出す。これが魔障を退散させるという。終わると青い布が張られた「射むしろ」から約39メートルのところに直径158㎝の大的がかけられる。そして「大的式始めませ!」の掛け声で大的式の神事が始まる。控え席に着座していた直垂に風折烏帽子の「太郎」「三郎」が介添えともに射むしろに進み、先ず前弓の太郎から的を射る。続いて後弓の三郎が射るのだがそれぞれが2本づつ射る。そして五郎、六郎、次いで四郎、関と合計6人が2本づつ射て大的式は終了する。この間の各射手の動作には、厳格な式法がさだめられていて、着座の仕方、足の運び方などすべてが型通りに進められる。大的の左手前に準備されていた廻り木馬が中央に運び出されて「流鏑馬」の練習のための「騎馬の形」が披露される。木馬は替え添えによって時計回りに回されるが馬上の騎手は回っている時に矢を射る。的は木の板3枚が吊るされていて、これに向かって各射手が矢を3回射る。射終わると観客席に向かって両手を広げ大声で雄叫びをする。若い3人の射手がそれぞれ3本づつの矢を射たが殆どが命中し板の割れる大きな音に見物人は拍手して歓声をあげる。これで大宮八幡の大的式は終了し一行は退場する。
 
 
 
1月2日   大宮八幡宮(℡03-3311-0105
               杉並区大宮2-3-1(京王井の頭線・西永福)

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