小曾木の「天王祭」

平安時代中期、疫病除けの神である天王信仰が盛んになり、京都八坂神社の祭神、牛頭天王が各地に勧請されて広く信仰されるようになり、疫病が発生しやすい6月頃各地で天王祭が行われた。小曾木八坂神社の創建の由緒などは不明だが、祭神を牛頭天王(須佐之男命)として、旧暦6月(新暦7月)に祭礼を行うが、まさに村だけの手作りの祭りで露店も出ない簡素なものだが、華やかな花万灯を先頭に古い神社神輿と山車を中心とする行列が氏子地域を巡幸する。

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先頭は華やかな花万灯2基、神輿は万灯に隠れて霞んでしまう。
大勢の氏子や子供達に引っ張られた山車が続く
 
神輿と山車の行列  神輿庫に納まっている神社神輿の御魂入れの儀式が終わると、神輿庫の前で行列の無事を祈って乾杯があり、午後1時に行列は出発する。先頭は大きな花万灯2基で主役の神輿が地味なために万灯に隠れて霞んでしまう。その後に大勢の氏子や子供達に引っ張られた山車が続くのだが、荒田囃子連の達者なお囃子と舞を披露しながら街道を進んで行き午後5時頃に神社に戻る。
 
神社神輿  台座寸法2尺6寸(79)天保11年(1842)作の吹き返しの無い延軒屋根、平屋台造りで錺金具や彫刻がない簡素な古い神輿。
 
山車  江戸末期~明治初年頃の作で 『和藤内』の人形山車。明治10年頃に八王子の横山町から譲ってもらった大きなもの。

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青梅の名前の由来  青梅の地名の起こりには諸説があるが、最も市民の間で親しまれている説が、青梅・金剛寺の青梅伝説に発している。金剛寺にあるこの梅は、古来「誓いの梅」と称し、平将門が自ら挿した梅であるといわれ、「我願い成るなら栄へ、成らぬなら枯れよ」と誓ったところ、その梅が根付き、梅の実が秋を経ても熟することなく青々したまま残ったところから、この地を「青梅」と呼ぶようになったといわれている。
 
小曾木八坂神社  祭神は須佐之男命、創建は不詳だが古い時代、天王塚と称する山頂に日と月を刻んだ板碑と、牛頭天王宮と刻んだ自然石を建て信仰したと伝え両石とも現存する。寛文2年(1662)振鈴が奉納され、享和元年(1801)本殿を改修、慶応3年(1867)鳥居を再建、明治5年、社名を八雲神社と改め、同10年八坂神社と改称し村社に列格した。昭和45年,日原丘陵開発計画に伴い、同50年現在地に社殿を移した。社宝として木彫りの牛頭天王像がある。
 
 
雑感  東青梅の駅から約20分くらい飯能方面に行くと荒田と言う停留所がある。近くへ行けば祭りの雰囲気で神社の場所も分かるだろうと、たかをくくって行ったのだが、祭りの気配は無く、人通りが全く無いので聞く人も見当たらない。バスが遅れ宮出し時間が迫っているので焦っている時に運良く、自転車に乗った女子中学生2人が通りかかり、神社の場所を聞いた所、かなりの距離をわざわざ神社まで案内してくれた。天保11年作という古い神輿に惹かれて訪ねた祭りだったが、自然が育むのか、神輿だけでなく今時珍しい親切さをも残していることに暑さも疲れも忘れた印象深い祭りだった。
 
7月15日前後の日曜日   八坂神社(℡0428-74-5103八坂会館)
              青梅市小曾木3-1681-3(JR青梅線・東青梅→都バスまたは西武バス・荒田または七小前)

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