桜桃忌

斜陽、人間失格、富岳百景などの代表名作を持つ太宰治の命日を桜桃忌(おうとうき)という。太宰は昭和23年、に玉川上水で入水自殺したが、発見されたのが彼の39歳の誕生日にあたる6月19日の朝で、この日を忌日として彼の死の直前に書かれた名作「桜桃」にちなんで「桜桃忌」と名付けられた。墓は太宰の生前の希望で、住居のあった三鷹の禅林寺に建てられたが、この日、墓碑には桜桃が首飾りのように掛けられ、墓前には花、桜桃などが供えられて大勢の人が参詣する。講堂では彼を偲んで講演会が催され、ボランテイアによる桜桃忌ツァーには多くのファンが参加している。

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桜桃忌法要  午後2時、参会者が墓前に集まり、住職が読経をあげる。
華やかな墓前  墓石には首飾りのように桜桃がかけられ花や桜桃をはじめ様々なお供えが。
若い人達も  墓前に手を合わせて詣でる。
 
桜桃忌ガイドツアー玉川上水や太宰治の旧宅、共に入水した山崎富栄が下宿していた家の前などゆかりの場所をガイドする無料ツァーが催され、太宰ファンがグループ毎に案内を受けていた。
 
禅林寺  江戸時代初期明暦の大火によって移住させられてきた神田連雀町の町民が浄土真宗本願寺派の寺院として創建。 元禄13年(1770年)8月台風で倒壊、黄檗宗の賢洲元養が再興し元禄13年禅林寺に改名した。

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桜桃忌  桜桃忌の午後2時から参会者が墓前に集まり、住職が読経をあげて鎮魂の供養をしたあと、各自墓前に手を合わせて詣でる。発足当時は亀井勝一郎氏が中心となって直接親交のあった人達が遺族を招いて年に1度、緑陰の庫裏に顔を合わせ、桜桃をつまみながら酒を酌みかわし、偲ぶのが趣旨であったという。昭和32・3年頃から変貌を見せ始め、大勢の太宰フアンが参加するようになり若い人達も増えて、墓前には沢山の花束や桜桃、酒、煙草、本などが供えられている。十代の若者から高齢の男女まで、集まった人々の数と多様さに驚かされるが、没後60年を経てなお衰えぬ太宰治の人気の不思議を探るのか、TVやカメラマンが一般の人にインタビューする光景もあちこちで見られる。僧侶による読経の前後が人波のピークのようで、その後、「偲ぶ会」が境内の「霊泉斎場」で開かれ、入りきれない人々がスピーカーから流れる声に耳を傾けている。
 
6月19日   禅林寺(℡0422-44-8365
           三鷹市下連雀4―18―20(JR、地下鉄東西線・三鷹)
 

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