鮫洲八幡神社祭礼

昔は海に大きく洲が出ていた漁師町だった鮫洲では、海上安全、豊漁並びに船中守護を祈願しての海中祭が行われ、惣町大神輿が鮫洲浦で海中渡御されていた。戦後、海中渡御が出来なり、惣町大神輿は神社の社宝となって鮫洲には担ぐ神輿のない時代を迎えたが地元住民の強い要望により八幡神社大神輿がつくられた。現在の鮫洲の祭りの特徴は、大神輿の宮出しが土曜日の午前3時から行われることだ。午前2時近くなると、大拍子の「よせの太鼓」が鳴り響き、続々と神社に人が集まりはじめ、3時の宮出しとなり旧東海道を中心に渡御した後、朝の7時に御旅所に着御する。その日の午前、午後は各町会の子供神輿、山車の巡幸が行われる。最終日には午前中に各町会の子供神輿と山車が旧東海道を中心に隊列を組み、惣町廻りを行い、午後にも子供神輿の宮納めや山車の巡幸が行われる。そして午後3時、神社大神輿が御旅所を発御し午後6時に神社へ宮納めとなって鮫洲のお祭りは終る。

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お旅所を出る神社神輿 午後2時半、お旅所に安置されていた神社神輿の出御式が行われ、寄せ太鼓の合図で3時に出御する。氏子町内を巡幸し神社に戻るのは午後6時となる。大神輿渡御の時、氏子は半纏、腹巻(さらし)、半股引に白足袋の身装で奉仕する。神社神輿の台輪 3尺3寸、大鳥(鳳凰)の高さ、2尺4寸、重量 約300貫、製作年 昭和42年、製作者宮本重義。品川地区に見られる「大拍子」、神輿に馬の皮を張った鼓をくくりつけ、竹の撥で笛に合わせながら叩く。
 
鮫洲八幡神社  鮫洲は古くは御林町と呼ばれた漁師町で御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)内のひとつに数えられていた。御菜肴浦とは、新鮮な魚介類を将軍家に献上する義務を持たされた漁場で、江戸湾44ヶ浦の漁業上の元締めとなって、優先的な特権を持っていた。鮫洲八幡は古くは御林八幡宮と称せられ創祀の年暦は定かではないが、寛文8年3月7日書上帳にも記載のあることから、寛文年間(1661~1672)以前の御林町草創より建立され、同村総鎮守であったものと推測される。
 
社殿に納められた惣町大神輿  鮫洲には惣町大神輿と八幡神社大神輿という2基の大神輿がある。通常の例大祭では八幡神社大神輿が渡御するが、昭和47年の神社遷宮を契機に社宝として納められていた惣町大神輿が再び渡御されるようになった。惣町神輿は通常は社殿に納められ御祝い事のある時に旧東海道のみを渡御する。台輪寸法 4尺3寸5分 高さ(台輪下部~屋根上) 6尺4寸 大鳥(鳳凰)の高さ 3尺、重量 約450貫、製作年 文化10年(1813)、製作者 山崎音次郎(大工)
 
山車  旧東海道沿い3町会、北町、仲町、南町は各々山車をもっていて、大祭当日の午前午後、旧東海道を子供神輿とともに練り歩く。それぞれの山車にはお伽噺の主人公、浦島太郎(北町)・乙姫様(仲町)・桃太郎(南町)の人形と囃子が乗っていて賑やかに町を巡幸する。
 
 

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惣町大神輿

 
8月14日近くの金・土・日   鮫洲八幡神社(03-5463-1712
品川区東大井1-20-10(京浜急行・鮫洲)

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