山王嘉祥祭

日枝神社では毎年6月16日に山王嘉祥祭が行われている。和菓子の祭りで、菓子職人が神前で和菓子を作り奉納する神事があり、それにあわせて10日から17日まで「嘉祥祭菓子接待席」を境内に設け参拝者に和菓子とお茶を振舞う。平安時代、仁明天皇が神託により「嘉祥」と改元し6月16日に16の菓子を供えて厄病除けを祈願したのが始まりとされる。室町時代には年中行事として定着し、江戸時代には庶民も菓子や餅を16個求めて食べる風習が広がったという。全国の和菓子店ではこの日を「和菓子の日」として様々なイベントを催している。

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山王嘉祥祭が行われる日枝神社
大太鼓が打たれ宮司達が入場する
嘉祥の儀が始まり祝詞奏上
 
山王嘉祥祭神事が始まる  東京メトロ・溜池山王駅7番出口から地上に出て、背広姿が目に付く広い歩道を右に進むと間もなく日枝神社境内へのエスカレーターが目に入る。境内は結構高い所にあるので我々には嬉しい施設だ。2年に1度の本祭りを終えたばかりの境内には茅の輪が設けられているが参詣人は疎らだ。拝殿に入り菓子作りが行われる場所の見当をつけて席を取ったが、席からは遠く写りが気になる。前日の電話でストロボの使用を控えるように言われていたが、たとえストロボを使っても光は届かないだろうし周りの人たちの迷惑になる。午後1時大大鼓が打ち鳴らされ、これを合図に雅楽が演奏され正面から宮司が大勢の神官を従えて入場、左側の席に着座する。続いて揃いの衣装姿で入場して来た和菓子協会の役員さんたちが右側に着席する。
 
菓子職人が神前で奉納菓子を作り始める
菓子作りの神事が終わり菓子協会役員の礼拝が済むと巫女の神前舞が奉納される
 
菓子作りの神事  お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠が終わると右側の席から、黒烏帽子に白い大きな布で口を覆った菓子作りの職人が神前に置かれた机の前に出て、奉納菓子の製作を始める。約20分位だろうか、菓子が出来上がると神官が三方に納めた菓子を受け取って神前に供える。そして和菓子協会の方々の拝礼があり、巫女さんの舞が奉納され、宮司一拝で祭りは終わる。
 
菓子が出来上がると神官が三方に乗せ神前に供える
菓子作り神事で作られた菓子

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虎屋から奉納された嘉祥菓子  16日にちなみ、1と6を足して7種の菓子を盛った「嘉祥菓子」。江戸時代末期に御所に納めていた菓子を原形とするもので、虎屋では、6月16日のみの予約制で今でも販売している。
 
嘉祥(かじょう)の日  仁明天皇の故事にならい6月16日は嘉祥食といって16個の菓子
や餅を神に供え、それを食して疫病を祓い健康と招福を願う行事が定着した。徳川家康は
この日城内に菓子をずらり並べ、参賀の大名、旗本に1包づつ与えた。まんじゅう、きん
とんなどで、屋敷では床の間からこのまんじゅうを押し頂き一口づつ食したという。その後、徳川幕府ではお目見得以上の諸士に菓子を贈る「嘉祥頂戴」が行われ市井でも銭16文で菓子を求め食べ健康招福を願うことが吉例となった。昭和53年から日枝神社例祭6月15日の翌日16日に後朝の祭として全国和菓子協会の「厄除招福」の祈りと共に「嘉祥の儀・和菓子のまつり」が始められた。
 
日枝神社  江戸三大祭りの一つ、山王祭を行う神社。旧社格は准勅祭社、官幣大社で大山咋神を主祭神とする。文明10年(1478)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まる。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。
 
 
 
6月16日   日枝神社(℡03-3581-2471
       千代田区永田町2-10-5(地下鉄銀座線・南北線・溜池山王 )

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