柴又の獅子舞

休日には、混んでいた電車が殆ど空になるほど、映画「男は辛いよ」で一躍有名になった柴又、帝釈天までの参道両側は俄か食堂も出て観光客で混み合い、ミニ浅草寺を思わせる大賑わいだ。帝釈天から程近い柴又八幡神社は古墳の発掘で話題になった神社だが、その例大祭に葛飾区の無形民俗文化財に指定されている、神獅子と言う獅子舞が悪除けの神事として奉納される。3年に1度の本祭りには、昭和13年行徳、後藤直光作で最近化粧直ししをした台輪およそ3尺の神輿が出る(次回は2011年)

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獅子舞  獅子舞の演目は花がかり、弓がかり、太刀の舞など、九つの演目が奉納される。通常3匹の獅子舞に見られる「ささら」は無い。介添え役はベテランが天狗、ひょっとこ、山の神などの姿でつとめるが、こここでは「猿」だ。男の子が万灯を持って立つのも珍しい。舞庭は天井付き、四方に八幡幕を巡らした板敷きの場だ。
 
獅子頭  獅子頭は黒獅子と呼ばれ、いずれも黒塗りで黒の鳥羽根が付いている。この羽に触ると厄病を免れると伝えられている。2本の棒角がある大雄獅子、ねじれ角2本が中雄獅子、宝珠を頂く雌獅子である。3匹の獅子に花笠4人、烏帽子に猿面をつけ腹掛けを掛けた猿、笛3、唄4人で構成する。
 
 
柴又八幡神社  2001年8月3日の朝日新聞(夕刊)に、葛飾区の柴又八幡神社境内の古墳から、寅さん似の埴輪が発掘されたというニュースが報道された。葛飾区でしらべたところ、約1300年前の奈良時代に、葛飾・柴又に「とら」と「さくら」という名前のつく人々が住んでいたらしいということがわかった。 柴又八幡神社境内の古墳が造られた時代、今の葛飾地域は下総國に属していたが、奈良・東大寺の正倉院に保存されている「下総國葛飾郡大嶋郷」の戸籍(721年・養老5年)から、「孔王部 刀良」(あなほべ とら)と「孔王部 佐久良売」(あなほべ さくらめ)と読める名前が記載されている戸籍が見つかったということである。
 
神獅子の由来  伝説によると、3体の獅子頭は柴又村の名主斎藤家の家宝として代々秘蔵とされていたが、獅子が夜な夜な抜け出して、同家の米蔵で米を食い荒らすため、主人が怒って獅子頭を江戸川へ投げ捨てたという。しかし獅子頭は急流を遡り土手に上がって来たので村人は驚き、獅子頭を八幡神社に奉納した。この地に疫病が流行した或年、この獅子を先頭に道饗祭を行い氏子の家々を巡って獅子が病床で舞い、獅子が家を出るとたちどころに病気が治ったと言う。以来、悪疫が流行ると道饗祭を行うことが通例となった。(道饗祭=律令制で、京都の4隅の道上で魑魅、妖物に食物を饗して京都に入るのを防いだ祭り)

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雌獅子、中獅子、大獅子と3匹の獅子が舞庭で舞う
介添え役の猿と舞う獅子
 
介添え役の猿を先頭に舞庭へ向かう
万灯が立てられた舞庭、ささらは使わない
 
10月第2日曜日   柴又八幡神社(℡03-3607-4560葛西神社)
                     (葛飾区柴又3-30-24、京成金町線・柴又)

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