下連雀八幡大神社祭礼

鳳凰の目がダイヤモンドでギネスブックに載ったという神輿を持つ下連雀八幡大神社の祭礼、一之宮神輿と二之宮神輿はそれぞれ町内を巡行した後、午後2時に三鷹ショッピングセンター前で合流し三鷹駅前を通過して、その大きさと担ぎ手の波は見る人々を圧倒する。両神輿ともさらに町内巡行を続け宮入は夕方となる。

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一之宮神輿  黒漆のふっくらとした延屋根に舞い降りた大きめの鳳凰が特徴の、伝統的な神輿。台輪寸法3尺、屋根延べ神社方神輿。昭和60年から修復の手が加えられ、二之宮神輿とともに新装デビューをした。行徳・後藤直光作。テコ舞姿の錫杖を先頭に、金色に輝く2基の獅子頭、大大鼓、それに舞手を大勢従えた新川囃子に先導され氏子町会を巡行して三鷹ショッピングセンターの駅寄り交差点で二之宮神輿と合流して駅周辺を巡回し再び町内渡御を続ける。右奥に見えるのは二之宮神輿。
 
二之宮神輿  野筋(のすじ)を勇壮な金龍が駆け下り、鳳凰の眼がダイヤモンドという豪華さ。青貝をちりばめた螺鈿細工の延軒屋根、平屋台造りの神輿だ。台輪131センチ(4尺3寸)、高さ3.6m、重さ1.3トン、担ぎ棒の長さ7.2mで、担ぎ手120人も必要とする大神輿は、1994年版のギネスブックにその大きさが日本一と掲載され、同時に1億円ともいわれる製作費も話題になった。1986年(昭和61年)行徳・浅子周慶作
 

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立派な獅子頭はトラックで  
大太鼓を打ち鳴らしながら進む 
舞手を従えながら新川囃子を賑やかに
 
八幡大神社 祭神は応神天皇。 明暦3年(1657)の「振袖火事」により、神田連雀町の名主、松井治兵衛が罹災者24名とともに新田開発のため当地に入植。連雀新田(後の下連雀村)の鎮守として寛文4年(1663)当社を勧請した。
 
三鷹の地名由来  三鷹の名はかつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領にまたがっていたことに由来する(三領の鷹場)と言われているが、旧三鷹村役場火災による資料焼失のため、真偽は不明。
 
連雀の地名  明暦の大火により神田連雀町(現在の神田須田町・淡路町付近)の名主、松井治兵衛が罹災者24名とともに新田開発のため当地に入植し連雀新田を開いたことに因む。
 
9月第2土・日曜日   八幡大神社(℡0422-47-6628)
三鷹市下連雀4-18-23(JR・三鷹、バス→八幡前)

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