新川天神社祭礼

平安時代、京都に天変地変が起こり悪疫が流行したのを、大宰府で非業の最期を遂げた菅原道真の霊の祟りと考え北野天満宮に祀りその霊を慰めたのが祭祀のはじめだ。道真が学者文人として優れていたので学問の神様として尊崇され、江戸時代には各地に末社が勧請され庶民に親しまれた。寛永年間に野川天神山から遷宮されたと伝えられる古い歴史を持つ新川天神社の祭礼には、神輿が三鷹農協前を出発し新川十字路を経て本格的お練りに入り午後、いったん神社に宮入りする。御霊入れ式の後、神輿は再び宮出しされて氏子町内を巡行し夕方宮入後、奉納演芸大会が催される。毎年、カミ、シモの部落が交替で演芸大会の世話役を務め、練習のときから部落一体となって和気藹々に纏まる場となり、失われつつある部落のコミュニケーションがかっての農村時代にもどり祭りはこの上なく盛り上がる。

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新川天神社の二之宮神輿  一之宮神輿のバトンを受けて昭和63年3月吉日にお披露目した二之宮神輿は浅草・岡田屋の作で台輪寸法2尺。新しい神輿を求め、新川宿青年団OBを中心として結成された「新川宿みこし」つくる会が中心となって手に入れた、総延べ屋根の浅草神輿だ。神輿の渡御は青年団を中心に行われている。祭りは二之宮神輿が中心だが境内には大正4年に作られ三軒茶屋から烏山を経て新川へと旅をした一之宮神輿が神輿庫に祀られている。
 
一之宮神輿
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新川天神社  創立は不祥ながら、言い伝えでは寛永年間に、野川天神山から現在の地に遷宮したとされる。台風で屋根がとばされる(明治14年)など被害もあったが、昭和35年に改修された。
 
新川囃子   新川囃子は、大沢の囃子と同様の流れを汲むが、天保年間の初め(1830)頃、田中忠左衛門に受け継がれたものが現在に伝わっている。その後後継者がいなくなり中断していたが昭和51年に、地域の有志によって「新川囃子保存会」が結成され、復興をみた。現在では、新川天神社祭礼をはじめ、種々の地域行事で演じられ、平成5年2月には、三鷹囃子とともに三鷹市無形文化財に指定された。
 
高張り提灯を先頭に宮入 
 
三鷹の地名由来  三鷹の名はかつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領にまたがっていたことに由来する(三領の鷹場)と言われている。
 
子供囃子
 
新川天神社のお祭り 社殿は2年前に新築されたというが、新しくて立派。長い参道も完全舗装されて歩き易いが、両側の銀杏の並木は大きく茂り、歴史の古さを物語っている。子供神輿2基それぞれに太鼓が付き、お囃子も舞子も子供、境内は家族連れで賑わっていて如何にもかっての農村の祭りを連想させる。
 
 
 
9月25日前の日曜日   新川天神社(℡0422-46-2644崇敬会長・高橋茂様)
三鷹市新川2-11(JR、井の頭線・吉祥寺、小田急バス→京王線「千歳烏山北口」行き「天神前」

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