信松院ほおずき市

八王子には武田信玄の四女・松姫が出家して建立した曹洞宗の寺院、金龍山・信松院がある。毎年7月、ここで「ほおずき市」が開かれているが、浅草寺のほおずき市に比べると店の数や賑わいは比較にならぬほど規模が小さいものだ。此処ではほおずきのほか、風鈴や朝顔など夏の草花なども売られていて夏の風物詩として地元の人々に親しまれている。ほおずき市は7月9・10の2日間だが、特に10日は観音様の縁日「四万六千日」で、観音様の功徳日のなかでも日数の一番多い日だ。この日参詣すれば、1日で約127年間毎日日参するのと同じ功徳が得られると、江戸時代から庶民の人気を集めている。

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参道の片側に3段の棚に「ほおずき」がずらっと並べられている。「寺の前で行き倒れた老人にほおずきを与えたら元気になったのが、このほおずき市の始まり」という話しを耳にしたので寺に確かめたが・・・。
 
梅雨の時期に夏を呼ぶ風物詩として地元で親しまれ、地元の人はここでほおずきを求めることが毎年の夏の行事になっているという。1鉢1700円の札がついていて、2鉢、3鉢と買い求める人もいる。
 
昔の子供はほおずきをしゃぶったものだが・・・。
暑い最中を歩き、青い旗を見てホッとする
朝顔も売っていました
 
信松院  八王子市にある曹洞宗の寺院。山号は金龍山というが元は武田山とよばれ、開山は126歳の長寿を全うした傑物卜山舜越であった。甲斐の武田信玄の4女松姫(信松尼)が亡命してきたとき面倒をみた僧だ。開基は信松尼。八王子七福神の1つである布袋像を祀る。

信松尼
 松姫は6歳のとき、父信玄と織田信長の取引きで、信長の嫡子奇妙丸(信忠)と婚約したが、その後破棄された。信玄が西上作戦中に急逝した後、松姫は信州高遠城の兄仁科信盛の元で生活し、新館御料人と呼ばれていた。天正10年(1582)信長軍の信濃・甲斐侵攻に高遠城は開城、武田勝頼は自刀して武田家は滅亡した。そのとき松姫一行は八王子へ逃がれた。奥多摩湖の山上に松姫峠という峠路があるが徒歩では大変な山路だ。八王子には陣場山の和田峠越えで恩方から入ったという。松姫は当時北条領だった八王子城下の下恩方にある心源院の卜山舜越により剃髪、上恩方の心源院の別院で草庵を結んだ。その後、八王子城が落城して徳川家が江戸に入ると、八王子は元武田家臣だった大久保長安が支配したためか、松姫の周囲に武田遺臣たちが多く集まってきた。長安はこれを組織して八王子千人同心の元を作り、松姫は大久保陣屋の近くに信松院を営んだ。以降、信松尼は近在の者たちに養蚕や絹の織物を教え、子どもたちには手習いなどを教えて暮らした。後世、八王子市が織物の町として発展したのは、この信松尼の存在があったからこそといっても過言ではないという。
 
信松寺ほおずき市の印象  西八王子駅から寺まではかなりの距離だ。途中、バス停があったので時間表を見たら日中は1時間に1本しかなく昼前後は皆無だ。台町通りとでもいうのだろうか、住宅街を貫く整備された広い道路を進むとやがて右手に「信松院ほおずき市」の青い旗が並んだ寺に。山門を入ると、入口にまんじゅう売りのおばさんが居て、参道の片側に3段の棚にほおずきが並べられている。その奥が日本庭園といった感じの境内に本殿・別院の建物が建っていて立派なお寺だ。松姫が奥多摩の松姫峠を越えて八王子に逃れ草庵を結んだというイメージは湧かない。しかし何故こんな交通の便の悪い所でほおずき市が始まったのか不思議だ。信松院の「ほおずき市」は毎年7月10日前後に行われ、梅雨の時期に夏を呼ぶ風物詩として地元で親しまれ、2日目の夕方にはほとんど売り切れるという。ほおずきの数が揃って入る所を撮りたいと初日の午前中に訪ねたが、あまり早すぎたのか客は疎らで入口のまんじゅう売りのおばさんも手持ち無沙汰のようだった。
 
7月9~10日   信松院(℡042-622-6978
       八王子市台町3-18-28( JR中央線・西八王子、京王線・山田)

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