白髭神社例大祭

墨東地域で先陣を切って行われる最初の夏祭りで、向島の夏はここから始まるといわれる。特に当社の3年に1度の本祭りには神社神輿が渡御するのでひときわ賑やかな祭礼が繰り広げられる。神社神輿は嘉永元年(1848)行徳の後藤直光作の品格のあるもので図子(ずし)と呼ばれる11氏子内を巡幸する。駒札の「十三番」の文字ははかって近辺の神社神輿と連合で渡御していた頃の順番を示す名残だ。陰祭りには初日拝殿前に11図子の11本の高張提灯がずらりと並べられての祭典神事、夜には「あおり獅子」の巡行がスタートする。2日目には、11図子の神輿・山車が、それぞれの図子内を渡御する。神社のせまい参道と境内には、露店もぎっしりと立ち並び大勢の参詣者が訪れる。

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白髭神社  天暦5年(951)近江の国志賀郡琵琶湖畔の白髭神社の分霊として祭ったのが始まりだ。祭神「猿田彦(さるたひこ)の神」は、天孫降臨の神話の中で、天孫・ニニギの道案内役をした。そのため、旅行の道中安全や、「案内」が転じ、客を店に案内してくれると、商売繁盛に利益がある神として信仰されている。 墨田川にかかる「白髭橋」は白髭神社にちなんでつけられたもの。5月に行われる「ばんてんまつり」も有名。
 
白髭神社の神輿と宮出し 午前7時15分、各図子の高張り提灯が掲げられた境内拝殿前での祭儀が終わると神輿の前に揃いの裃袴姿の総代たちが並んで出輿式が行われる。境内は広くは無いのだが、初夏最初の墨東神輿祭りとあって方々から応援担ぎ手が集まり境内は担ぎ手たちで一杯だ。7時半、神楽殿でお囃子が始まり、木遣りが奉納されて木が入ると神輿が担ぎ上げられていよいよ宮出しだ。担ぎ手は宮元の西図子の人たちだ。神輿には大小の2基があり、大きい方は大人用で嘉永元年に作られたもので、俗に「十三番」と呼ばれ、屋根上に「拾参番」と書かれた駒札がついている。今回は見られなかったが、子供用の小さい神輿もあり「八番」と呼ばれている。大小の神輿をそのように番号で呼んだのは、かつて旧寺島村内の3神社(白鬚神社・高木神社・長浦神社)の神輿13基を合同で連合渡御した時代があり、番号はその行列順序をあらわしたものだ。その後、各町会や図子ごとに神輿がぞくそくと新調され、ついにはそれが43番にまで達した。現在では3神社の連合渡御はなくなったが、今なお当時の名残りで、白鬚神社の大小の神輿を「十三番」「八番」と呼んでいる。
 
あおり獅子  白鬚神社祭礼の、もうひとつの呼び物は、「あおり獅子」の巡行だ。金色に輝く大きな雌雄一対の獅子頭で、江戸時代末期に作られたものという。ケヤキ材を彫刻し、布を貼って漆でかため、金箔を捺した立派な獅子で、1頭8貫目の重さがある。獅子頭の後には5反もの長さの木綿の帆布で作った幕がついており、これをアオリ(煽り)と呼ぶが、その中に5人が入り、獅子頭は3人の氏子が担いで巡行する。一時中断されたが、2005年に復活し、以降は不定期だが陰の年に巡行している。
 
向島(むこうじま)  江戸期によばれるようになった名で、浅草のほうから隅田川の向こうに広がるあたりをそうよんだことから始まる。昭和39年に向島、向島須崎町、小梅、向島請地町などを合併した。

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各図子(ずし)の高張り提灯  白髭神社には「図子」と呼ばれる氏子組織がある。行政上の町名、或は村名とは異なり一種の部落名とでも言うべきものらしく、5月の「ぼんでん祭り」など神社行事はこの図子単位で行っているようだ。足立区にも、大乗院で行われる「じんがんなわ祭(1月)」に見られるように同じ呼び名の部落単位があるがこの場合は「厨子」で字が異なる。
 
6月7日近くの土・日曜日   白髭神社(03-3611-2750
(墨田区東向島3-5-2、東武伊勢崎線・東向島)

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