下谷神社大祭

下町で1番早い夏祭りとされている「下谷神社大祭」は、千年以上の歴史を持ち、本社神輿の渡御がある「本祭り」と町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年で行われている。2006年は「本祭り」に当り5月5日(金)~7日(日)の日程で執り行われ、7日の日曜日には千貫神輿と呼ばれている神社神輿が氏子29ケ町の若衆の延べ6千人によって朝6時15分より夕方6時半まで担がれ、氏子区域を練り歩いた。JR山手線の外側が下谷神社の氏子領域になり、(内側は上野の五條天神社)下町のため神社境内の露天商の数が多く、期間中は約130軒が出店して祭りを盛り上げる。

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宮出しと町会渡し   宮出しは午前6時15分から。猿田彦-大大鼓ー木遣り-神職-御幣-委員-拍子木に続いて本社大神輿が鳥居をくぐって宮出しされる。宮出しの担ぎ手は各町会から選ばれた氏子の青年達で、赤い大鳥居をくぐると、間もなく神吉町へ町会渡しされる。以後、一日を費やして町会渡しを重ね氏子29町会をくまなく渡御して、再び神社へ戻るのは午後6時30分だ。
 
下谷神社 祭神は大年神と日本武尊。天平2年(730年)創始。田原藤太秀郷が当神社に参籠して朝敵平将門追討の祈願をし、その平定の後、報恩のため社殿を新に造営した。昔から「正一位下谷稲荷社」と称せられ、この町を稲荷町というようになった。明治5年に「下谷神社」と改め昭和9年遷座した。寛政10年(1798)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で、境内には「寄席発祥の地」の石碑が建立されている。社殿天井絵「龍」は横山大観の力作。
 
下谷という  上野は小高い台地があり、そこに開けた村なのでその名がついたらしく永禄年間(安土桃山)には既にこの名が見える歴史ある地名だ。、その山の下に広がる谷地であることで自然に下谷という地名が広がったと考えられ上野とともに永禄年間に確認されている地名だ。町名としては消えていたが、昭和40-41年の住居表示で、入谷町、豊住町、坂本、金杉、金杉上町を合併したときにこの名を使うことになった。

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上野駅に飾られた宮神輿  7代将軍家継の生母月光院は、家継が病弱だったために健康を祈願して正徳4年(1714)に神輿を奉納したが大正大震災で惜しくも焼失した。現在の神輿は鳥越神社と同様に大きいことで有名。大正15年、行徳後藤直光の作、大きな屋根に大きな稲神紋が特徴の台輪寸法4尺1寸の大神輿だ。平屋台、延べ屋根、銀の 稲荷社の紋が大きく一枚。紋の直径だけで1尺5寸位はありそうだ。
 
宮出し
町会渡し
猿田彦
 
 
5月11日に近い金・土・日   下谷神社(03-3831-1488
(台東区東上野329-8、地下鉄銀座線・稲荷町、JR・上野)

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