消防殉職者慰霊祭(弥生祭)

浅草観音の本堂裏に消防殉難者表彰碑がある。猛火の中に身を挺して職に殉じた人たちを、後世に伝えて永久に弔慰しようと、消防関係者や有志の賛助によって明治45年に建立されたものだ。徳川8代将軍吉宗の時代、時の町奉行・大岡越前守忠相の唱導で、「いろは四十八組」の町火消しが誕生してから昭和14年までの間に殉職した128人の名前が刻み込まれている。消防殉職者慰霊祭は昭和14年から毎年5月25日に、「弥生祭」としてこの碑の前で遺族、消防関係者らが集まって続けられている。祭典の第2部の演技披露では、火消し半纏に股引引き姿の江戸消防記念会の人たちが、総数87本の纏を勇壮に振りながら浅草寺境内を歩く纏行進に続いて青竹で作られた高さ約6.5mの梯子11本による梯子乗りが披露される。

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纏を振りかざしながら仲見世を進む
慰霊斎場前に勢揃いした江戸消防記念会
都知事を始め大勢の参列者が
 
慰霊祭次第  午前9時、揃いの半纏を纏い、高らかにうたう木遣り集団を先頭に大きな纏を振りかざしながら江戸消防記念会の若衆たちが雷門を潜り仲見世に姿を現す。宝蔵門、浅草神社前を通って会場を目指すのだが、2009年は浅草寺本堂改築の真っ最中で会場が狭く昼の纏行進演技が中止となったため、この仲見世行進がその代役となる。浅草寺本堂裏の広場には大テントの下に慰霊祭会場が設けられ、江戸消防記念会の各区各組は纏をずらりと並び立てて開会を待っているが、その景観は見事なものだ。やがて音楽隊による童謡のメロディが流れ午前11時、慰霊祭式典が始まる。修祓、献撰、祝詞と進み、祭文は江戸消防記念会長、石原都知事、消防長官だ。音楽隊の静かな吹奏のうちに黙祷が捧げられ、撤撰と神事は進むが来賓の数が多く玉串奉奠も尋常の時間ではない。主催舎の謝辞があって12時、慰霊祭は終わり第2部の演技披露に移る。
 

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纏振り  12時からは演技披露だ。本来は境内での纏行進が披露される予定だったが、浅草寺本堂改修のため、裏の境内が狭くなって取り止めになった。「纏振り、始め!」の号令がかかると、境内を埋め尽くした86基の纏が一斉に振られ、その昔の江戸火消しの心意気を表す様に勇壮で見応えがある。戦場での侍大将の馬印を真似て、町火消し誕生後に組の旗印として取り入れられたものといわれ、華美を禁じられて白と黒の2色に統一され、各組の象徴として大切に管理されている。色々な形のデザインを施した上部の「陀志(ダシ)」その下部の紙製又は皮製の「馬簾(バレン)」48本と「真竿」からなり、高さ2.4m、重さは20kgある。
 
梯子乗り(東京都無形民俗文化財)  東京では出初式を始め色々な機会に梯子乗りが披露されるが、江戸消防記念会全員が揃い11基の梯子で演技を披露するのはこの祭りをおいて他には無い。鳶でありまた火消しでもあるので、高所で危険な作業をするため、常に機敏さ、慎重さ、そして勇敢さが要求される。その訓練として梯子を取り入れ、火事場でも冷静に対処出来るようにと、消防訓練の一環として江戸時代から引き継がれてきた伝統芸だ。3種48伎あり遠見、しゃち、背亀、腹亀など、それぞれの型に名前が付いている。
 
江戸消防記念会  会員は火消し気質といわれる「義理」「人情」「痩せ我慢」を信条とし江戸火消しの心と姿と技、すなわち人情、風俗、習慣、技芸、遺跡といった広い範囲の史実文化を伝承しようと、出初式をはじめ公共団体の要請で「木遣り」「纏振り」「梯子乗り」などを披露し、また、江戸町火消しの昔からその職に殉じた先人の遺徳を顕彰している団体だ。江戸町火消しに倣った旧6地区に昭和23年以降に加入した5地区合わせて11区、その下に87に及ぶ「組」があり、組それぞれが「纏」を持ち纏を中心に組織的な活動を行っている。
 
5月25日   浅草寺(℡03-5269-7210江戸消防記念会)
  台東区浅草2-3-4(地下鉄銀座線、都営浅草線、東武伊勢崎線・浅草

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