正受院の「針供養」

このお寺の針供養は色々な行事のある華やかなお祭だ。組合員が作った甘酒を本堂、針塚にお供えする「甘酒献上」で始まり「納針の儀」では集まってきた古い針を土中に納め、それから稚児行列を先頭に、奪衣婆尊を小さくした像をお厨子にまつり8名の女子に担がれた花見堂行列が靖国通りからお寺を一周する。この練り行列が終ると針塚に供える供物百味香を供えて針塚の前での大法要となる。和裁業界が中心に昭和32年に針塚が建立され、従来の針供養法にお練りを加えてから現在のような新宿の針供養として世に知られるようになった。 

スポンサーリンク

錬り行列  8名のきらびやかな衣装をまとった性達が小さな奪衣婆を安置したお厨子を担ぐ花見堂行列。お寺を1周したあと百味香を供えて針塚の前での大法要となる。
 

スポンサーリンク

百味香行列と稚児行列    百味香とは針塚に供える供物のことで十名の和裁生が綺麗な衣装で、口には紙で作ったマスクをつけお餅,野菜,果物などを持って行列に参加した後、針塚に供える。
 
納針の儀  集まった沢山の古い針を土の中に埋める儀式。
 
針塚とその前に置かれた豆腐にさされた針たち→ 着物行列が一回りした後、この針塚の前で盛大な法要が行われる
 
新宿の地名由来  かつて新宿は、内藤新宿とか追分新宿とか呼ばれていた宿場町で、その名は「内藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味していた。内藤氏は家康の関東移封に先立ち、伊賀組百人鉄砲隊を率いて、現在の新宿二丁目を中心として警備にあたり家康が江戸入城の後その地をそのまま拝領した。当時日本橋を起点とした甲州街道の最初の宿場町高井戸までの距離はあまりに遠く不便なため、その中間に新しい宿場町を開設したが、その場所が内藤家の屋敷前であったことから新しい宿場町の意を込めて「内藤新宿」と呼ばれるようになったものだ。
 
 
奪衣婆の像  新宿正受院安置の脱衣婆は百日咳の願懸に有名なものだ、此像は小野篁の作ともいうが余り当にはならぬ。願を懸る時にはシヤモジに久ヌ目木大明神と記して納め、再び之を受けて自宅へ持帰り、軒先へ打付けて置くのだ。
 
2月8日  正受院(℡03-3341-1416
   (新宿区新宿2-15-20、地下鉄・新宿御苑前)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ