杣保葛神社祭礼

杣保葛神社は戦国中期の創建と伝えられる古い歴史を持つ神社で祭礼日は4月15日だが現在は15日に近い日曜日に行われている。当日、祭礼神事は午前10時半から始まり、神輿、山車、子供囃子屋台が12時半に神社を出て街中を巡幸し神社に戻るのは午後5時半頃となる。この日に先立ち4月1日には町中に悪霊、疫病除けの注連縄を張りめぐらして連帯感を深める。また祭り終了後、当日の午後9時ころから役員だけで真っ暗闇の中を神社を3周してご神体を本殿に戻す「御殿入り」の儀式が行われる。

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杣保葛神社
この神社の古い歴史を物語るような獅子面
例大祭神事、総代たちの揃いの半纏が綺麗
御霊入れ式、祝詞奏上
神幸行列出発、先頭は法螺貝と大榊
神輿は参道では白丁に手持ちで抱えられ
 
杣保葛神社例大祭  小作駅からのバスを藤橋で下車、進行方向に進むとT字路にぶつかり左折した右側に神社はある。鳥居の右側は社務所前の広場になっていて、お囃子の山車が2基据えられ周りにはお揃いの半纏を着た氏子達が屯している。鳥居をくぐると参道の両側には露店が並び、二の鳥居左側の神輿庫の前に立派な神輿が据えられている。台座3尺5寸くらいか、作者、製造年月日など宮司と総代長に尋ねたが50年位前作られたらしいというだけで詳しいことは分らない。この神社の古い歴史を物語るような古めかしい獅子面が飾られていて印象的。拝殿では例祭の神事が始まったところで、青地に祭の赤い背文字を染め抜いた揃いの半纏を着た総代達が並んでいる。11時過ぎ、大大鼓で式典が終了し、お神酒を捧げ持った総代の後ろに宮司、総代達が続き、いったん一の鳥居を出て社務所前広場から社務所に入る。お囃子が演奏を始め境内には祭り客がぼちぼち集まり出している。
 
鳥居を出ると8人の白丁に担がれ錫杖と宮司が従う
お囃子の屋台を引く大勢の子ども達
行列のしんがりをつとめる藤若囃子連
 
神幸行列出発  12時になると氏子や総代達が大勢、拝殿に昇殿し発御祭が始まる。約15分後、手が締められ一同が出て来て、神輿の前で御霊入れの式が始まる。修祓、祝詞奏上などがあって、参加者は白丁に着替え、神輿が上がるのだが担ぎ手は8人で神幸行列の出発だ。先頭は法螺貝と大榊、神輿はその後で参道では手持ちで鳥居を潜って担がれる。宮司、総代が後に続き、社務所前から大勢の子ども達に引かれた子若お囃子が出発、続いて氏子に引かれたお囃子が賑やかに囃しながら出発する。約5時間近く氏子地域を廻って神社に戻るのは5時過ぎになるようだ。この神社の祭礼を見て感じるのは、古くからの祭礼形式が随所に見られることだ。祭礼が終わる夜の「お殿入り式」はその最たるものだが、神輿は神の渡御だから担ぐ人は白丁に着替えて決して「祭り神輿」であってはならないという考え方に感心した。したがって、良くみられる他睦の姿は見当たらないし、氏子地域あげての祭礼という雰囲気に溢れていた。得難い祭礼を見せてもらったと思う。

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杣保葛神社  祭神は建速須佐之男命、武甕槌神、経津主神、大直日神、神直日神で例祭は4月15日。創建年代は不明、伝えによれば、元亀・天正(1570~1591)の頃、藤橋城主・平山越前守重吉が城内鎮護のため祀ったといわれ、幕府より社領十石を受けた。明治6年に村社に列格。同43年、杣保神社と葛神社(牛頭天王)合社し、大正年間に拝殿を新築。同時に本殿の覆舎を造った。境内面積は275坪、
 
藤橋城と杣保葛神社  杣保葛神社は戦国中期、城主平山越前守重吉が、城内鎮護のため城内に祀った神社といわれる。平山重吉は青梅の勝沼城主三田氏に従い、北条氏に抵抗して没落した。同じ平山氏の檜原城は北条氏につき、同族が敵味方に分かれたが戦国時代の常で、家名存続のため、話し合いの結果、敵味方に分かれたのであろう。藤橋城の遺構は主曲輪と腰曲輪、土塁、空堀、城戸門跡が残っているが公園として整備され、中央には杣保神社跡の碑が建っている。昔、このあたり一帯は「杣の保」と呼ばれていた名残だ。
 
 
4月15日に近い日曜日  杣保葛神社(℡0428-31-0823総代長・中村東一様)
           青梅市藤橋21(JR青梅線・小作→西東京バス・藤橋)

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