染井稲荷神社例大祭

染井吉野桜発祥の地として知られる旧染井村の鎮守染井稲荷神社の本祭は4年に1度(2008)で、15日前後の土曜日は午前中に例大祭式典が行われて、子供神輿が、午後には町内大人神輿が出御して町内を廻る。日曜日には午前10時から発興式、11時から台座2尺8寸、池之端・本澤松太郎による大正13年作、小唐破風軒屋根、勾欄造りの本社神輿が出御して氏子地域を巡幸する。

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境内は茶色半纏の染井町会の担ぎ手たちが担当して元気良く1周する

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鳥居をくぐるときには担ぎ慣れている「同好会」に交替し、くぐり終わると再び茶色半纏に代わる
 
発興式  式の間中付き人が神官の上に赤い傘をさす。
外人さんも応援  住まいが氏子地域の6丁目東分化会?
 
染井稲荷神社  祭神、保食命。当地周辺はむかし染井村といい、現在のそめいよしの町会のあたりに350年前にその名を刻んだ石造があることから、それ以前よりある地名と見られる。また当社が建てられたのはおよそ300年以上前で関東大震災や戦災にも拝殿・本殿ともに燃えず、「火防の神」として信仰を集めた。当社には神体が二体あり、保食命の像と320年前に御霊入れされた十一面観音の石像が安置されている。
 
染井稲荷神社神輿宮出し  午前10時過ぎ、雨模様だった天気が何時の間にか日が差して来た。御神酒に、おにぎりが配られ腹ごしらえは充分、白い半纏を着た神社役員達の記念真撮影が終わると、それぞれ色の異なった半纏を纏った「染井よしの町会」「6丁目東文化会」「7丁目町会」と同好会メンバーが、神輿の前に集まり発輿式が始まる。式典が進み、宮司から拍子木、御幣の授与があり、役割タスキの授与と紹介、委員長挨拶、渡御委員長注意などがあって、11時前に神輿が上がる。境内は染井町会が担当で、狭い鳥居を潜る時は担ぎ慣れている同好会に代わり、鳥居をくぐって通りに出ると、また染井町会に代わる。神輿は大正13年作というが昨年600万をかけて修復したそうで眩いばかりの美しさだ。ここの行列は高張提灯を先頭に、榊を持った神官、三方を捧持する役員、赤い大きな傘の下を歩む神官2人が神輿の前後を進む簡素な形式で氏子町会を巡幸する。
 
染井吉野桜発祥の地  駒込は染井吉野発祥の地として知られている。染井吉野は、オオシマザクラとエドヒガンという自然の中にある桜の交配種だ。染井の里には1657年の江戸の大火振袖火事の後に各大名の下屋敷がおかれ、庭園の手入れをする植木屋が集まった。染井吉野生みの親として有力視されているのは江戸一番の植木屋といわれた伊藤伊兵衛の4代目政武(1676-1757)。伊兵衛政武は八代将軍徳川吉宗にかわいがられ、江戸城内の庭師をつとめた。また伊勢の国、津藩主の藤堂家の下屋敷に植木職としてつとめ、苗字帯刀を許されていたともいわれている。政武はつつじ、梅、桜、りんご、菊人形と様々な植木を作り、また植物学者として1694年から1737年の間に33冊の本を残している。 染井吉野は1720ー1735年頃政武によって生み出されたのではと考えられていて、当初は桜の名所として名高い奈良の「吉野桜」の名前で売り出し「染井吉野」と命名されたのは1900年(明治33年)といわれている。政武の菩提寺であり、藤堂家の祈願寺でもあった染井の「西福寺」には「染井吉野の里」の碑がある。
 
9月15日前後の日曜日   染井稲荷神社(℡ 03-3918-1073
豊島区駒込6-11-5(JR、南北線・駒込

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