椙森神社大祭

椙森神社はかつては椙之森稲荷及五社大明神とも称し、「江戸名所図会」には広大な境内地を描いた挿絵が載っているほどの大社で、2008年で創建1077年を迎える古い歴史を持つ。10月の恵比寿神大祭は「べったら市」で知られ、毎年盛大に催されているが5月には例大祭が行われ3年に1度の本祭りには神社大神輿が出る。2008年は本祭りにあたり、15日が宵宮、 16日にこの大神輿が氏子町内を巡幸する。夕方からは日本橋小学校校庭で「お祭り広場パーテイ」が行われて鏡割りや福引大会など数々のイベントが催される。翌17日は大祭式典が催行され、午前中に子供神輿、山車、中神輿が出御し、午後からは子供縁日などが開かれる。

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冨塚   度々の火災で焼失した江戸の寺社の再建費用のため有力寺社で当りくじである富興行が行われ椙森神社の富も人々に親しまれ、江戸三富の一つに数えられるほど数多くの富籤が興行された。庶民の泣き笑いの記念として大正9年に富塚が建てられ、言わば「宝くじ」の元祖の神社。現在の富塚は昭和28年に再建されたもの。
 
椙森神社  祭神は伍社稲荷大神(ごしゃ)と恵比壽大神。当社は遠く一千年の昔、平安時代に田原藤太秀郷が「将門の乱」に戦勝を祈願した所とされる。文正元年、太田道灌が雨乞祈願のため伍社稲荷神を遷して祀り江戸時代に恵比壽大神を祀った。江戸城下の三森(烏森、柳森、椙森)の一つに数えられ椙森稲荷と呼ばれ、また「富くじ」も盛んで江戸の庶民で賑わった。
 
発輿式  午前9時、3人の神官が神輿前に揃う。お祓い、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌の順で発輿の儀式が進み、終わると宮司が神輿前に供えられて居た拍子木を祭典委員長に渡す。祭典委員長は一本締めの音頭を取って発輿式は終了する。写真は拝殿に供えられていた野菜類を神輿前に献饌するところ。神酒、重ね餅がすでに供えられている。
 
宮出し  午前8時を過ぎる頃から境内には揃いの祭りハッピを着た人たちが大勢揃い、3年ぶりの神輿出御とあって総代や町会毎に役員が神輿の前で写真を撮ったり、赤い襷をかけあったり白丁に着替えたり宮出しの準備をしている。8時45分、神楽殿で若山胤雄社中によるお囃子が奏せられる中、9時に発輿式が始まり9時20分宮出しとなる。芳町通りの引継ぎ所まで神輿は役員の手によって運ばれるので担ぎ手は比較的に年配者の顔ぶれが多いが近隣からの応援も交じって居るようだ。白丁に守られた社名旗、太鼓、榊、猿田彦、錦旗、木遣りに先導され神輿巡幸が始まる。
 
椙森神社神輿   渡御日は5月16日前後の平日で3年毎。台座寸法3尺5寸(106)、昭和6年9月、当社の1千年祭を記念して蔵前大倉による製作。総体350貫(約1.4t)、鳳凰16貫、胴回り金具は超厚板の浮き彫りで桟唐戸や欄間は彫金等で贅を凝らした見事な神輿。

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町会渡しと町会巡幸  宮出しされた神輿は神社前通りを人形町方面に進み、芳町通りで人形町1丁目「芳人町会」に第1回の引継ぎが行われる。ここは車の往来が激しくお巡りさんも交通整理に忙しい。神輿はここで胴に白布が巻かれる。担ぎ手は殆どが元気の良い若者に代わり中には企業氏子の社員も加わっている。再び木が打たれ手締めと同時に神輿が上がる。通常、宮神輿の出御は土・日曜の休日が多いのだがここは金曜日で珍しい。住民層の変化で神社の周辺地域の殆どが企業関係で土・日の昼間人口が少ないためだ。話しを聞いた昭和18年生まれの役員は、小学校だけは近所の学校に通ったが卒業して池袋に移り、今は月参りは欠かさないものの当時のクラスメートで地元に残っているのはお寿司屋さん1人だけだという。ここからは町会の高張り提灯が加わり堀留町、人形町。大伝馬町の氏子地域を隈なく巡幸し神社に戻るのは午後5時となる。
 
5月15・16・17日  椙森神社(℡03-3661-5462
中央区日本橋掘留町1-10-2(地下鉄日比谷線・人形町)

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