隅田川七福神

正月が来ると東京では江戸時代から七福神めぐりを行う。七福神を祭っている寺社を巡拝すれば七難即滅、七福即生し、火災、水難、盗難など七つの災難を除き、清廉度量,有富蓄財、芸道富有、愛嬌富財、人望福徳、延命長寿、勇気授福の七つの幸福がえられるという。東海、山の手、谷中、深川、亀戸など数々の七福神があるが、とくに有名なのが隅田川七福神だ。文化、文政の頃の向島は一面田園地帯で、多くの文人墨客に愛され蜀山人や文晁などの粋人が谷中七福神を模して向島の隅田川に沿った堤の社寺に七福神を祭りこれをめぐり歩くという趣向を編み出した。これが江戸っ子の人気となって隅田川(向島)七福神が大いに流行した。

スポンサーリンク

 
三囲神社  隅田川七福神の起点で恵比寿・大黒天を祀る。近所の百姓が境内で雨乞いをしているのを見て宝井其角が「ゆう立や田をみめぐりの神ならば」と雨乞いの句を詠んだ所翌日雨が降ったという。境内には自然石に彫られた句碑が。文和年間(1352~56)三井寺の僧源慶がこの地にあった小祠を再建しようと地面を掘ったところ神像が出現し、何処からともなく白狐が現れ神像の周りを3度めぐって、またいずれともなく去ったという。この言い伝えが三囲神社の社名になっている。大国、恵比寿は越後屋(現三越)に祀られていたもの。
 
弘福寺  三囲神社から 300㍍ほど北に行ったところにあり、布袋の寺、宇治の黄檗山万福寺の末寺でこの宗派は禅宗の中でももっとも中国風という。江戸時代、江戸有数の大寺だったというが今もその面影が残り、格式のある中国風の山門と明朝様式の立派な本堂を持つ。布袋尊は七福神の中で唯一実在した中国の禅僧で、弥勒の化身と言われる。境内にある爺婆像は風外和尚が寛永年間(1624~44)に自分の父母孝養のために刻んだ像で風外和尚にかけて、咳止め(婆像)咽喉の病気除け(爺像)にご利益があると伝えられる。
 
長命寺 弁財天、弘福寺のすぐ北隣、七福神中唯一の女性だ。弁財天は河(水)の神ということから、蛇がお使いとして選ばれ、巳の日に参拝する風習が生まれた。裏手の堤上には有名な長命寺のさくら餅、右横手に言問団子がある。寺よりも桜餅が有名の感、長命寺の門番だった山本屋新六が土堤の桜の落葉を塩漬けにし、花見の頃、餅にくるんで売り出したのが始まりだ。境内には芭蕉をはじめ十返舎一九、大田蜀山人らの句碑、歌碑が林立している。将軍家光が鷹狩の途中、急な腹痛でこの寺で休みを取り境内の井戸水で薬を飲んだところたちまち回復、家光は井戸に長命水の名を与えたが以後、寺も常泉寺から長命寺にあらためたという。
 
百花園  隅田川七福神発祥の地が向島百花園だ。骨董屋で財を成した風流人佐原鞠塢(きくう)が文化元年(1804)に作った梅屋敷跡。この七福神めぐりも佐原が百花園の草木に因み本草の神として、所持していた福禄寿に目をつけた風流仲間太田蜀山人、谷文晁ら友人達が手分けして七福神を探し出したのが隅田川七福神の始まりという。庭園では神仏は禁止ということで今では福禄寿尊が百花園に帰ってて来られるのは元旦から七草まで。あとは白髭神社に預けられている。
 

スポンサーリンク

白髭神社  百花園から堤上に上るとすぐ寿老神の白髭神社、5月に行われる水難除けの「ぼんでん祭り」で有名な神社だ。祭神の猿田彦命は道案内の守り神ということからお客を案内する、千客万来、商売繁盛の信仰が生まれる。百花園に集う文人墨客が園主佐原の秘蔵する福禄寿尊を中心に「七福神詣」を創始した時、寿老人だけが見当たらなかった。そこで寺島村鎮守の白髭大明神を名前から「寿老人」に見立て目出度く七福神が揃った。だだ、神さまなので寿老「人」ではなく寿老「神」とした。
 
多聞寺  隅田川七福神めぐりの最後は毘沙門天の多聞寺、白髭神社から約2キロ北、謡曲隅田川で知られる梅若堂の近所で建長11年創建、かやぶきの山門で趣のあるお寺だ。山門をくぐると、左の竹やぶが狸塚、狸の像も置かれている。昔、本堂の前に住む狸の悪戯に村人達が悩んでいた時、毘沙門天下の禅尼師童子が狸を懲らしめ村人を救ったと言う伝説が伝わっている。本尊の毘沙門天(多聞天とも呼ばれる)は弘法大師の作と言われる。
 
 
 
向島の地名 江戸期によばれるようになった名で、浅草のほうから隅田川の向こうに広がるあたりをそうよんだことから始まる。
 
墨田区  昭和22年に、本所区と向島区とを合併してできた。名前は隅田川からとったが、「隅」という字が当用漢字にないために、様々あった「すみだ」の当て字の中でも言葉の響きのよい「墨」の字を使った。
 
1月元旦から7日まで   隅田川七福神、三囲神社(℡℡03-3622-2672
(墨田区向島2-5-17、都営地下鉄浅草線・本所吾妻橋)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ