立川熊野神社祭礼

例祭日は8月第3日曜。 宵宮の土曜日は氏子有志による日本舞踊、民踊など奉納演芸大会が催され、日曜日にはゲスト歌手の出演もあるカラオケ大会が境内で行われて賑わうがメインは高松町3町目から立川通りを経て熊野神社まで9基の町神輿が山車、太鼓に先導されて繰り広げられるパレードだ。午後4時頃に神社境内に次々に到着し、祭りは汗と熱気でピークに達する。

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熊野神社  享保年間に開拓された七軒家と云う部落の鎮守として創建されたが昭和20年空襲の為、焼失。昭和31年、新社殿完成に依り熊野本宮大社より御分霊を勸請奉安した。多摩都市モノレールの高松駅に近いが、JR中央線立川駅から歩ける距離だ。
 
立川の地名  武蔵国府が現在の府中市にあった時代、府中より見て現在の多摩市付近で東西に連なる山を多摩の横山と呼び、その多摩の横山から見て多摩川が縦方向(南北)に流れている近辺(現在の立川、日野近辺)を立の河と呼んでいた。立の河が次第に変化して現在の立川になったと言われている。 また、地方豪族立川氏が、現在の普済寺に城をつくったことから立川になったと言われている。 なお、立川付近の多摩川の河原は立河原(たちかわのはら/たちがわら)と呼称(上記いずれの説に由来するのかは不明)され、後に合戦も行われている。
 
町神輿の宮入  高松町3町目から出発した町神輿パレード、「高松町協力会」「高松町商店街」「東方会」「松友会」「高昇会」「松栄会」「南自治会」の駒札を付けた神輿が大太鼓を先頭に交通の激しい立川通りを行列を作って練り歩き、午後3時過ぎ、熊野神社に次々に宮入りして来る。何せ35度の炎天下を担ぎ通して来ただけにどの顔を見ても苦しそうだ。中に高昇会の面々は若者揃いで、声を張り上げ、手を振りかざしてみんな元気一杯だ。宮入りした神輿は神楽殿に待ち受けた氏子総代や町の役員たちに拍手で迎えられ木を打って下ろされお祓いを受ける。境内は全町神輿が勢揃いして、パレード終了の行事が行なわれる。大会委員長達の挨拶などが終わり、各神輿はそれぞれの町に再び戻って行く。
 
神社に次々に宮入りして来る町神輿。何せ35度の炎天下を担ぎ通して来ただけにどの顔を見ても苦しそう。
 
声を張り上げ、手を振りかざしてみんな元気一杯
待ち受けた氏子総代や町の役員たちに拍手で迎えられ木を打って下ろされる。
 
8月第3日曜日   熊野神社(℡042-522-3227
立川市高松町117-21(JR中央線・立川)

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