田無神社祭礼

駅前通りから旧青梅街道両側に立てられた、赤字に白く「田無神社おまつり」と染め抜かれた幟旗や商店の軒に吊るされた赤白の祭り提灯が5年ぶりにご本社神輿が出御する2006年の田無神社例大祭に期待を持たせる。宵宮には神輿の御霊入れ祭りがあり、境内ではカラオケ大会、民謡、大道芸などを奉納、翌本宮では神輿出御の後、かっぽれや空手演舞など、宮入後は、保谷和太鼓、日本落語協会による落語なども披露され、50軒もの露店が出て大勢の祭り客を集め、参道では日本酒が振舞われ、子供姿が多いいかにも土地に密着した祭りだ。

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本社神輿の宮出し  素木の唐破風屋根に金物と彫刻が見事な勾欄造りの神輿で大きさは2尺3寸。今年は5年ぶりの出御とあって担ぎ手は氏子限定の350人で、黄色地に赤で「田無神社」と染め抜かれた半纏と青地に柳沢の半纏を纏う地元氏子達が入り混じって奉仕する。午前11時に宮出しされ、柳沢、福澤屋、アスタなど氏子地域を巡幸して宮入は午後3時過ぎとなる。
 
田無神社  正応年間、谷戸の宮山に鎮座し尉殿大権現と呼ばれていた。徳川家康が江戸に幕府を開くに及び、元和8年、上保谷に分祀し、さらに寛文10年、現在地に遷座し、明治5年田無神社と改称して現在に至っている。社殿は江戸時代後期から明治時代にかけ、江戸を代表する名工、嶋村俊表の作で俊表の最高傑作といわれ本殿、拝殿ともに東京都の有形文化財に指定されている。
 
田無の地名 「田無」の地名は「逃水の里」と言われるほどに水に乏しい荒野であったため田ができず,すべて畑であったところから「田無」と名付けられたといわれる。このほか,田無村は租税の収奪が他村に比べて厳しかったため,穀類の種まで奪い取られることもしばしばで周辺の村々では「種ナシ」の村と呼ばれ、これが「田無」になったという説もある。
 
 

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かっぽれを踊る
 
神幸祭行列  田無神社の高張り提灯2基と神社旗の後に、榊と鈴を捧持する神官、猿田彦命、氏子総代、大勢の子供達に引かれた大大鼓と続き、最後に地元氏子担ぎ手に奉仕されたご本社神輿が威勢良く出御する。
 
10月第2日曜日及び前土曜日   田無神社(℡0424-61-4442
(西東京市田無町3-7-4、西武新宿線・田無)

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