鉄砲洲祭(本祭り)

鉄砲洲稲荷神社は平安時代の承和8年(841)凶作に苦しんだ海辺の人々が国魂神を祀ったのが始まりだ。この地域がかっては水路輸送の要にあったため「みなといなり」とも呼ばれて船乗り達の信仰をも集めた。本祭りは3年に1度で本社神輿の渡御および町内神輿の連合渡御が行われ、陰祭には鳳輦神幸祭が催される。 2008年に迎えた鎮座1168年例大祭は本祭りで5月2日から5日までの4日間斉行された。3日に鳳輦神幸祭、最終日の5日に御本社神輿が出御し6年ぶりに町内渡しが行われて17町会に及ぶ氏子地域を巡幸した。各町内では3日4日を中心に町内神輿の連合渡御が行われ鉄砲洲祭の賑わいを盛り上げた。

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新富、入船壱、入船二、入船三の連合渡御  新富神輿は昭和2年、浅草宮本卯之助作、台輪寸法3尺、入船壱神輿は行徳後藤直光作、台輪寸法2尺。
明石町、湊三、宮元の新大橋通り連合渡御  明石町神輿は昭和53年、浅草岡田屋布施作、台輪寸法2尺。湊三神輿は昭和31年、本所石原町15代宮信作、台輪寸法2尺5寸。
 
入船二神輿  昭和31年、行徳後藤直光作、台輪寸法2尺5寸。
 
入船三神輿  昭和29年、行徳後藤直光作、台輪寸法2尺3寸。
 
宮元神輿  昭和11年行徳15代浅子周慶作、台輪寸法3尺3寸。
 
町内神輿の連合渡御  5月3日、細かい雨が降り続いている中を、町内巡幸を終えた各町内神輿が正午前から威勢の良い掛け声と共に大勢の氏子に囲まれて続々と集まって来る。集合場所は新大橋通り・入船2丁目交差点から銀座に通じる通りだ。午後1時前、この通りに町内神輿7基が勢揃いして並ぶ。新大橋通りに近い方から、新富、入船壱,入船二、入船三、明石町、湊三、宮元の順だ。午後1時、1番奥の宮元神輿に木が入って担ぎ上げられ、順次手前の方に木が入り連合渡御開始になる。何しろ東京のど真ん中の銀座、京橋地区の氏神様の神輿祭りで都内で5月最初に担げるとあって方々から応援が集まるらしく、それぞれの神輿を大勢の人が取りまいている。行列は新大橋通りに出て八丁堀方向に進み、桜川公園手前で右折して神社に向かう。そして神社参拝後それぞれの町内に戻ってゆく。
 

 
本社神輿宮出し  5月5日、朝9時の宮出しだが、滅多に見られない大神輿の3年に1度の宮出しというので撮影の場所を確保するべく1時間前に到着したのだが鳥居前は既に沢山の大小の脚立が立ち並んでいた。境内に入ると、空色鉢巻、襟に弥生会、背に鉄砲州稲荷神社のグリーンの文字を背負った氏子で構成する弥生会の面々で一杯、拝殿前には鳳が堂々としていて貫禄十分な神輿がきらびやかな姿で鎮座している。大正14年八丁堀、秋山三五郎師の作で、台輪間口4尺1寸5分という。もともとは白木神輿だったが、担がれることが少なかったので塗装したのだというがその美しさに暫し見とれる。神楽殿では東囃子が賑やかで3年に1度の本祭り気分をかきたてる。午前9時、儀式らしい儀式は無いまま、いきなり手締め、そして木が入って宮出しとなった。神社前通りには宮元の若者が手に手に提灯を持って立ち並んでいる中を大神輿は進んでゆく。そのまま宮元町会を渡御し、湊湯前で台車に積まれる。ここからお囃子が先導し弥生会の人たちに引っ張られながら銀座8丁目東まで行き、ここから15回にわたる町内渡しを行いながら午後7時宮入となる。

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弥生会は平成10年、鎮座1160年(2000)の記念事業の推進母体として発足。その後は鐵砲洲稲荷神社の繁栄と氏子地域の活性化、下町文化を次代の若者に継承することを目的に活動している。会員数は約400名。 会名は先代の中川正光・名誉宮司が名付け親で、5月1日から5日まで開催される鐵砲洲祭が旧暦では3月の弥生に当たることから命名。弥々生える(いやいやおえる ますます成長する)の意味もあるという。
 
湊湯前で台車に積まれ弥生会に引かれて銀座8丁目東へ
 
御幣を先頭に宮元町会を渡御する台座寸法4尺1寸5分の神社神輿
宮元若衆の提灯に守られて宮出しされる巨大神輿
弥生会で溢れ東囃子が響きわたり祭り気分が盛り上がる境内
 
5月2~5日   鉄砲洲稲荷神社(℡03-3551-2647
          中央区湊17(地下鉄日比谷線、JR京葉線・八丁堀)

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