目黒・新宿・府中の「酉の市」

酉の市が「酉の日」に行われる意味は、祭神、日本武尊が熊襲征伐に出発の日が酉の日であったため、その日を祭日とした。酉の日の当日、神前に幣帛として「八つ頭」と「熊手」を献納する。「八つ頭」は尊が東征の時、八族の各頭目を平定した功績を具象化したもの、「熊手」は尊が焼き討ちに遭った時、薙ぎ倒した草を当時武器でもあった熊手でかき集め、その火を防ぎ迎え火をもって賊を平らげ、九死に一生を得たことを偲ぶものとされる。ここから、古来より「頭の芋」とも呼ばれる「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起に結びつき、「熊手」は家の内に宝を掃き込むとか掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めた。また、熊手をもって火を防いだという由緒から火難除けの神事であったと伝えられ、現在も江戸消防記念会が酉の市に参拝祈願している。「おおとり」は(大取)に通じるので、宝物を大きく取り込むという商売繁盛、開運招福の神として信仰を集めている。

スポンサーリンク

目黒大鳥神社酉の市  熊手店の右奥が社殿。今は賑わいを浅草や新宿のお酉さまに譲っているが、日本武尊が東夷征討の折、現在社宝となっている天武雲剣(あめのたけぐものつるぎ)を献上したといわれるほど古い歴史を持つ神社だ。社伝に死去後大きな白鳥となって現れ、「鳥明神」として祀るとある。
 
大国魂神社酉の市  境内に祀る大鷲神社の祭礼で、元は武運を守護する神として信仰されたが現在は開運、商売繁盛、海上守護の神として信仰される。

スポンサーリンク

花園神社酉の市  境内に祀る大鳥神社の祭礼で、熊手の店も64軒と浅草に次ぎ数多く出て、山手一の賑わいを見せる。
 
目黒の地名  目黒は鎌倉時代以前から存在した古い地名で由来も不明で諸説あり。馬畔(めぐろ)説 めぐろの「め」は駿馬の「め」、すなわち馬という意味。「くろ」は畔(あぜ)、すなわち畔道を意味する。従って「めぐろ」は、馬と畔道を意味する馬畔という音から生まれたという説で昔、関東地方には馬の牧場が多く牧場を管理している人は、畔道を通って馬を見回り、その畔道の中を自分の縄張りとしていた。『目黒区史』(昭和36年発行)では、この説を妥当としている。他に地形説 、目黒不動説 などがある。
 

新宿の地名由来  かつて新宿は、内藤新宿とか追分新宿とか呼ばれていた宿場町で、その名は「内藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味していた。家康が江戸入城の後、内藤氏は布陣していた新宿の地をそのまま拝領したが、当時日本橋を起点とした甲州街道で、最初の宿場町高井戸までの距離が遠く不便なため、その中間に新しい宿場町を開設した。その場所が内藤家の屋敷前であったことから新しい宿場町の意を込めて「内藤新宿」と呼ばれるようになったもの。

府中の地名  府中とは「国府所在地」を意味する地名で武蔵の国の国府が置かれていたことに由来する。奈良時代に政府が全国を68の「国」という行政の単位に分け、政府の命令を地方に行き渡らせたり、地方から税を徴収するための行政機関として、国ごとに置いた役所が国府だ。
 
目黒大鳥神社(03-3494-0543) 目黒区下目黒3-1-2 JR目黒
大国魂神社(042-362-2130)府中市宮町3-1-1JR府中本町、京王線・府中
花園神社(03-3209-5265)新宿区新宿5-17-3地下鉄丸の内線、都営新宿線・新宿3丁目
11月酉の日

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ