東京時代まつり

京都の「時代まつり」に倣って平成元年に始められた浅草の新しい行事で、東京の始まりから現代までの歴史を時代絵巻行列によって再現する。隅田川から示現した観音様が祀られた東京のあけぼのから大田道灌の江戸城築城、家康の江戸入府と続き、大奥御殿女中、参勤交代の大名行列、義士の討ち入りなど勇壮華麗な行列が沿道の人たちの喝采を浴びながら進む。そして黒船来航、文明開化鹿鳴館時代へと連なり、平安・鎌倉時代、そして江戸から東京へ。本格的な衣裳・化粧・髪型により、さまざまな場面をテーマとして1600名が行列する一大歴史絵巻だ。道路は完全に交通遮断されて歩行者天国となり道の両側に赤いビニールシートが長々と敷かれて、臨時観客席が設けられるが開演1時間前から満席となる人気振りだ。

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浅草寺が江戸時代に幕府の祈願所となったことを契機に多くの庶民が浅草に集り、江戸三座と言われた市村座、中村座、森田座が浅草に集められ歓楽街としても成長していった。そして大正、昭和にかけての活動写真や浅草オペラで息を吹き返し、さらには戦後、戦災の荒廃からも立ち直って現在の浅草がある。
 
東京時代祭り行列  行列は 浅草寺本堂裏を午後1 時30分に出発。二天門→馬道通り→吾妻橋交差点→雷門前→雷門通りを行進し、すしや横町手前で4時過ぎに解散する。京都の時代祭りは近代から過去へと遡っての行列だが、東京時代祭りはまず浅草の観音示現からはじまる。いろいろな歴史衣装に身を包んだ仮装行列が子供江戸囃子屋台に先導される。 東京時代祭り本旗 奉行(役員)浅草観音示現 金龍の舞 5在原 業平 源 頼朝 北条 政子三社大権現祭礼 副旗 10太田 道灌 11徳川 家康 12大奥御殿女中 13徳川家光  14参勤交代・大名行列15元禄花見踊り  16赤穂浪士義士の討ち入り 17大岡越前と江戸町火消し 18浅草市村座七福神舞 19 猿若三座江戸歌舞伎20水戸黄門など江戸の人気者21江戸芸者 22副旗 23黒船来航・ペリー 24日野新撰組 25徳川慶喜 26江戸から東京へ 27文明開化、樋口一葉
28鹿鳴館 29浅草奥山風景
 
浅草の観音示現 推古36年(628)隅田川を漁労中の檜前浜成・竹成の兄弟が、黄金の観音像を発見し、土地の豪族土師仲知は自宅を改め寺とした。これが浅草寺の起源。
 
金龍の舞 観音像が祀られたその3日後、天より金鱗の龍が舞い降りたと伝えられている。金龍山浅草寺の山号はその故事にちなんだもの。
 
北条政子 源頼朝の妻・北条政子は頼朝亡き後数度に及ぶ幕府存亡の危機を救い、幕府体制の基礎を固めた。承久3年、政子は供を連れ浅草寺に参拝している。
 

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びんざさら舞
白鷺の舞
神輿の船渡御
三社大権現祭礼・船渡御 現在の三社祭は5月18日に近い日曜日に宮神輿3基が町内を練り歩く。浅草神社には「びんざさら舞(東京都無形文化財)」と「白鷺の舞」が奉納される。江戸末期までは神輿を奉ずる船祭も伝わっていた。
 
江戸開祖・大田道灌 康正2年(1456)大田道灌は江戸城を築城した。また、道灌は和歌の素養も高く、鷹狩の際、実の生らない山吹で蓑の無いことを告げた娘の逸話は有名だ。
 
徳川家康・江戸入府 天正18年(1590)
徳川家康は江戸に入府。浅草寺を祈願寺に定め、元和2年(1616)には自ら参詣している。
 
参勤交代・大名行列 寛永12年(1635)徳川家光によって確立された参勤交代制は、諸大名に1年毎の大移動を義務づけた。
 
元禄花見踊り 上野の山に、小袖模様の艶姿、絢爛豪華な花が咲く。天下太平の良き時代、町人文化が花開く。
 
江戸の人気者 火事と喧嘩は江戸の華。江戸は今宵も大騒ぎ。「この紋所が目に入らぬか!」の水戸黄門に一心太助が登場する。
 
義士の討ち入り 元禄15年(1702)12月14日。大石内蔵助率いる赤穂浪士47士の吉良邸討ち入り。現代でも義士として人気がある。
 
江戸芸者 芸者の起源は元禄時代,遊郭で遊女の技芸不足を補うため生まれた。遊女と一線を画する、三味線音楽と踊りの専門家だった。
 
黒船来航 嘉永6年6月、米大使ペリー率いる黒船の浦賀来航によって泰平の夢は破られた。
 
江戸から東京へ 慶応4年(1868)元号は明治と改まった。西郷隆盛、坂本竜馬、大久保利通・・・命をかけて日本の夜明けを築いた多くの偉人達によって、江戸から東京となった。
 
11月3日   浅草寺界隈(℡03-3844-1221浅草観光連盟) 
(台東区浅草、都営地下鉄、銀座線、東武伊勢崎線・浅草)

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