豊鹿嶋神社祭礼

豊鹿嶋神社は旧青梅街道に面した参道奥深くに、常陸の国鹿島神宮と同じ祭神を祀った東大和市芋窪の鎮守だ。毎年9月第2土曜日午後拝殿で式典が催された後、御本社神輿の宮出しが行われる。神輿は氏子町内を練り歩き午後7時にお旅所に到着して一泊し、翌日、午後1時、お旅所を出発して午後7時ごろ宮入して祭りは最高潮に達する。

スポンサーリンク

豊鹿嶋神社  創建は文武天皇の慶雲4年(707)といわれ、室町時代文正元年(1466)に建てられたとされる本殿は、都内で現存する神社本殿最古のもの、中世武蔵野の建築様式を伝える遺構として、東京都有形文化財に指定されている。祭神は常陸国一の宮・鹿島神宮と同じく武御加豆智命(たけみかづちのかみ)で鹿島の神を祀った神社だが明治以降に「豊」の字を冠し豊鹿嶋神社と呼ばれるようになった。江戸期に入り世の中が平穏になると信仰の対象は五穀豊穣や病気平癒に移ったが、戦いの守護神である鹿島の神が祀られた背景には中世武士団と深い関わりを有していたと推測され当社の古い歴史を傍証するものと思われる。
 
東大和市の地名  東大和は昔、大和村と言われ明治8年宅部村と後ヶ谷村が合併して狭山村となり、その後更に近隣6村が合併し、「大いに和す」との主旨で「大和村」となった。 昔の村は、今の貯水池の中にあって、160戸ほどの集落であった。明治の末頃に至り東京市では増加する人口の用水を確保する為、この地に貯水池を作る案が採択され、狭山丘陵の南の原に移転していき建設工事は昭和2年に完成した。大和村は昭和29年に村から町になり、昭和45年に「大和」町から東京の大和ということから「東大和」市となった。
 
神社神輿の宮出し 以前は樽神輿だったが昭和57年に子供神輿とともに制作された。栃木県石橋町無形文化財工芸技術保持者、小川政次氏の作だ。外部からの応援担ぎ手も大勢来ているが、境内の中は白丁姿の氏子総代たちしか神輿は担げない。境内を練り歩いた後、参道階段を下り、旧青梅街道に出たところで氏子達と交代する。子供神輿は子供がいないので大人氏子が代わって担いでいる。
 
 

スポンサーリンク

宮出し前の儀式  拝殿前に本社神輿と子供神輿が据えられ、式典の後に御魂入れの儀式が行われる。神輿には白布がかけられ神官の静謐とともにはずされる。あと、神官や氏子総代たちによる鏡開きがあり、その神酒を沢山の紙コップに分け注ぎ参列者全員が乾杯を行う。宮出しの時間が迫ると1本締めで手を締めて神輿巡幸の無事を祈る。
 
鏡割り 
乾杯
手締め
 
9月第2土・日曜日   豊鹿嶋神社(℡042-561-2858
(東大和市芋窪1-2067、西武拝島線東大和市駅・バス→貯水池下)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ