谷保天満宮祭礼

2007年は菅原道真公御神忌1105年にあたり、5年に1度の「小式年大祭」として斎行された。21日(金)午後8時、獅子舞宵宮参りがあり、終了後古式獅子舞が舞われる。22日(土)は神幸祭で祭神の分霊を鳳輦に移し市内を巡る。氏子が平安時代の装束を着て随従する荘厳華麗な行列だ。午後は神社神輿の宮入、宮出しがあり神社から谷保駅まで渡御する。23日(日)は万灯行列で13基の万灯が谷保駅から境内まで練り歩き、その後、古式獅子舞が奉納される。

スポンサーリンク

万灯の行列 谷保の駅前から各町内自慢の万灯が行列を作って出発する。
 

棒使いの舞  俵で丸く仕切られた舞庭を清めるため獅子舞に先たち舞われる棒使いの舞。

 

国立市の地名  昭和26年、村から町になる時、谷保村から国立町に。「国立」の名は、中央線の国分寺駅・立川駅の間にあって、両方の頭文字からつけた国立駅名がそのまま市の名前になった。この地から新しい国が立つぞ、という願いもこめられている。

 
谷保の地名  旧国鉄が南武線谷保駅の駅名を「やほ」としたため、地名の「谷保」までも「やほ」と言うようになってしまったが、本来の読み方は「やぼ」である。鎌倉時代の後期には「谷保郷」という地名が成立した。本来谷保の「谷」は「ヤツ」で、湿地帯を意味し、この地域が水田に適した土地条件を持っていたことからも、稲作が盛んだったと考えられている。
 
万灯行列と獅子舞  日曜日正午、JR谷保駅前広場から各町内の万灯が出発し、2時間あまりかけ町を練り歩き、次々と天満宮境内に入ってくる。宮入した各万灯は力自慢の若衆が交代で、万灯振りを披露する。その後、万灯の花が引き抜かれ見物人に配られる。大花万灯を露払いに唄方、笛方、棒打ち達とともに、天狗と三匹の獅子舞が宮入し、境内に設けられた舞庭で獅子舞が始まる。ここの獅子舞の起源は古く天歴年間(947~957)に村上天皇が獅子頭を奉納した時と言われる。また3つの獅子頭と天狗面は、160年前に1本の木から作られたという珍しい貴重なものだ。

スポンサーリンク

谷保天満宮  道真公が醍醐天皇の勘気にふれ大宰府に流された時、3男、三郎道武が僅か8歳で谷保に流されてきた。この道武が父を偲んで彫った木像が谷保天満宮のご神体と伝えられ、この天満宮には全国でも珍しく、道真、道武、2柱が祀られている。
 
神幸行列  神幸行列が行われる式年大祭は、以前は25年に1度だったが、1050年祭を契機に5年に1度に変更されたという。午前9時半、拝殿前に鎮座する鳳輦を白布で覆い遷御式が行なわれ、笙の笛が響く中を発御祭に移る。神輿の発興式と違うのは、「召し立ての儀」が行なわれることで、社名旗、錦旗、盾、鉾、獅子頭など行列に捧持する役割をそれぞれの氏名を呼んで割り当てることだ。紫と緑の直垂、白丁、黄衣と装束によってそれぞれの役割が決まっているようだ。午前10時、花火が打ち上げられ行列が天満宮を出発する。木遣りを先頭に社名旗、錦旗、猿田彦、太鼓、馬上の神官、平安時代の装束である直垂姿の大勢の役員や氏子が従い見る目を奪う華麗な行列だ。変わっているのは最後尾に祭主が白丁に曳かれた車に座って行列に参加している姿だ。神幸行列は大学通りを経て、11時国立駅、一橋大学東校舎、午後1時天満宮に還御する。
 
鳳輦を白布で覆い遷御式
しんがりは祭主が白丁に曳かれた車に乗って
猿田彦命に導かれて
 
 
9月25日近くの土・日曜日   谷保天満宮(042-576-5123
(国立市谷保5208、JR南武線・谷保)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ