薬師念仏鉦はり

念仏の伴奏に太鼓と鉦を使う「念仏鉦はり(双盤念仏)」は東京では江戸時代中期に始まり、明治大正にかけ宗派を超えて爆発的に流行したが、第二次大戦中、金属の供出で双盤鉦を失い、更に後継者が途絶え殆どが消滅した。創建が慶長10年といわれ、霊験あらたかな薬師堂を持つ武蔵村山では、昭和43年に「薬師念仏鉦はり保存会」が結成され、毎年薬師如来の縁日に公演する他、色々な仏事行事に出演している。東京都の無形民俗文化財に指定されている。

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三ツ木薬師堂における念仏鉦はり  薬師如来の前に大太鼓と双盤鉦(そうばんしょう)4個が据えられ、その伴奏で念仏が始まる。演奏は独特の楽譜によって行われる。
 

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鉦はりのリーダー・太鼓  或いは強く、或いは弱く、また緩急の自在さなどその撥さばきは見事なもの。聞く人は次第に引きこまれて行く。
 
鉦(双盤)  直径は50センチ位の円形で真鍮製、念仏の伴奏に用いられ、後、歌舞伎の下座音楽にとり入れられ太鼓を伴って奏でられる曲種の名称(双盤)にもなった。
 
独特の楽譜
 
武蔵村山の鉦はり継承者  昔は親から子へ引き継がれてきたが明治後期青年団が発足して代々の青年達が継承してきた。第二次大戦で鉦はり経験者が応召されまた双盤鉦も金属の供出でなくなったが青年団が辛うじて伝統を守ってきた。ところが時世の変遷とともにその青年団が解散したため保存会が結成され今日に至っている。
 

武蔵村山市の地名  「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」が訛って「村山」になったといわれている。平安時代末期に登場した武蔵七党のひとつ、村山党は狭山丘陵の生産力を背景にこの地に根を張った武士団で、 大正時代各村合併の折、この村山党の名にちなみ、「村山村」と命名した。市制施行の際、山形県に同名の市があったため、「武蔵」を冠して「武蔵村山市」とした。

10月8・12・22日   薬師堂(042-565-1111市広報課)
(武蔵村山市三ツ木3-22、西武新宿線・東大和市→バス・宿)

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