四谷両社祭

須賀神社は須佐能男命(すさのおのみこと)をる祀る天王社と宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)を祀る稲荷神社が一つになって出来たもので地元では今も「両社祭」と呼ぶ。二つの神社それぞれの神輿二基と獅子頭一対は戦災で焼失し、昭和51年に神輿一基が新調されたが、かっての天王社の氏子地域では神輿の屋根に鳳凰を、稲荷神社の地域では擬宝珠(ぎぼし)に付け替えて担ぐ。御本社神輿の渡御は隔年の本祭に行われるが陰の年には町内神輿18基が正午過ぎ四谷4丁目大木戸付近に勢揃いし、そこから神社に向って出発し神前でお祓いを受ける。

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取り替えた擬宝珠神輿を四谷担ぎで  擬宝珠に取り替えられた神輿を四谷担ぎで担ぐ。花棒の担ぎ手が首の付け根で台棒の先端を受けとめ、それに両手を添えて両足を突っ張りながら担ぐ。新宿から四谷にかけて見られる独特の「四谷担ぎ」である。
 
 
須賀神社 須賀神社はもと稲荷神社で、昔、今の赤坂にあったのを後寛永11年に江戸城外堀普請のため、現在地を替地として移したものだ。寛永20年、神田明神社内に祀ってあった日本橋伝馬町の守護神「須佐之男命」を地元民の総発意で四谷に合祀して御両社として祀るようになり明治元年に須賀神社と改称された。須賀の社名は須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」といって、宮居を定めた故事 に基づき名付けられた名称という。
 
須賀町の地名  この地に須賀神社があったことから明治5年に名づけられた。

四谷の地名 
 昔は何もない原野で関戸という名がついていたが、農家が4軒だけあったことからその名がついたらしい。あるいは、4つの谷(千日谷、茗荷谷、千駄ケ谷、大上谷)の集まるところからその名がついたともいわれている。古くからの村名だが何故「ッ」がないのかは不明。
 
宮出し  午前7時半、拍子木の威勢の良い1本締めが境内に響きわたり、いよいよ宮出しだ。狭い境内に大勢の人が詰めかけ神輿は女坂から宮出しされる。宮出しの時、屋根は鳳凰だ。
 
鳳凰を取り替える 神社のすぐ下の町、若葉町二丁目に入ると神輿の鳳凰ははずされ、擬宝珠に取り替えられる。

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宮元の赤い半纏と麻紐  昭和天皇ご大典の時、乱闘流血騒ぎまで起こして宮元町が宮出しを確保した心意気を記念して半纏を赤(柿色に近い)にしたもの。宮出しは今は各町会順番に行っている。肩から襷掛けにしている麻紐は魔除けとか。
 
 
6月第1日曜日   須賀神社(℡03-3351-7023
(新宿区須賀町5、地下鉄丸の内線・四谷三丁目)

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