用賀神社祭礼

用賀神社の祭礼は毎年10月10日前後の日曜日に行われ、午後1時に台座・2尺3寸(71)昭和53年に浅草・宮本重義によって作られた大唐破風軒屋根、勾欄造りの神社神輿が出御して氏子3町会を巡幸する。昔は「あばれ獅子」と異名をとった一対の獅子頭があり、五穀豊穣悪疫退散を祈願して村中を練り歩いたが、現在は神輿に主役の座を奪われた。

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境内が狭いため神輿は神社前道路に置かれそこから宮出しされる
用賀駅傍の道路を交通遮断して氏子町を渡御する神社神輿
 
用賀神社  祭神・天照大神、昔の用賀村の鎮守。昔は天祖神社といい明治41年(1908)に宇佐神社と村内にあった北野神社など数社を合祀し地名をとって用賀神社とした。昭和48年には狭い境内を広げるため隣の敷地と土地を交換し、新たに何坪かの土地を得て杜を造営し、当時入手困難と言われていた木曽の檜を現地調達した。総檜造り、千木・堅魚木丸みをおびた屋根の勾配と、建物だけでも一見の価値がある社殿だ。
 
獅子頭 「あばれ獅子」と異名をとった一対の獅子頭。明治の初めから秋祭りには五穀豊穣・悪疫退散を祈願して若衆がこの獅子をかついで村中を練り歩き家の中まで乱入した。その村内巡行の際に境内で獅子合わせという行事も行われていたが、今では主役の座をお神輿に奪われ社殿の前に飾られるだけとなってしまった。
 
飾り神輿の一之宮  昭和10年、神田鍛冶町・村田惣三郎製作で昭和51年修理、台座2尺6寸。
 
用賀の地名  この地には用賀村成立時に開基になった真福寺という寺があり、ここの山号は瑜伽山(ゆうがさん)といい、いわゆるヨガからくる梵語にその由来があるとされる。
 
用賀神社神輿宮出し風景  境内は狭く鳥居をくぐると階段になっており、おまけに沢山の露店が参道から拝殿近くまで出ていて拝殿前で出御行事が出来る状態ではない。神社前道路・鳥居の右脇に飾り神輿が鎮座している神輿庫があって出御の行事はすべてその右隣の駐車場で行われる。道路前に群がる担ぎ手の半纏は種々あるが、後に大きく「獅子」と赤く染め出しているのが、地元睦会らしい。かっての「あばれ獅子」の名残だろうか。午後12時半、鳥居前に並んでいた山車太鼓と子供神輿が出ると、全員が広場に集まり、挨拶、応援部隊8グループ(総勢80名)の紹介と襷渡しがあり、乾杯の後、午後1時に神社神輿が宮出しとなる。危険防止のため子供神輿とは反対の広い道からの出御で氏子3町会を巡幸して行く。
 
10月10日前後の日曜日   用賀神社(℡ 03-3700-7003
          世田谷区用賀2-16-26(東急新玉川線・用賀)

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