かって絹は日本の重要な産業で、各地で養蚕が盛んに行われた。今では養蚕を営む農家は殆ど無くなってしまったが、まゆ玉飾りの風習だけは各地に伝承されている。
まゆ玉飾りは、新しい年の初頭、小正月に米の粉で、繭形や丸い形の団子、農作物の形をした団子を作り、柳、樫、梅などの木の枝に挿して、養蚕や農作物の安全、豊作を田畑の神に祈願した農村の伝統行事だ。
平成5年に最後の1軒が養蚕を止めたといわれる羽村だが、その昔は耕地の7割までが桑園で、1戸あたりの産繭量では全国でも10指に数えられて養蚕の村として知られた。
現在、まゆ玉飾りを行っている家は1軒も無いが、郷土が育んだこの風習を何時までも残したいと羽村市郷土博物館では小正月に近い日に「まゆ玉作りの体験学習会」を開いている。作られて、旧下田家座敷に飾られたまゆ玉飾りは貴重な民俗行事を再現するのに十分だった。
まゆ玉作り参観
まゆ玉は現在では商売繁盛など縁起物の飾りとして使われているが、その元となる「まゆ玉飾り」の行事は見たことが無い。たまたま新聞で「まゆ玉作り体験学習会」の記事を見て、かっての養蚕の村・羽村市郷土博物館で行われるというので、担当の女性スタッフ中山さんのテキパキした電話応対に誘われて出かけてみた。
養蚕農家の大きな年中行事でありながら時代の変化とともに農村では次第に寂れ縁起物の象徴に変化しているこの行事のルーツを探って是非我が「東京の祭り」で取り上げたかったのである。
まゆ玉作り
旧下田家住宅座敷に飾られた「まゆ玉飾り」は雰囲気満点。 豊作を願った昔の人の祈りが聞こえるようだ。
中山さんからは参加者の人物撮影は控えること、今日のまゆ玉の作り方は、古くから伝わっている手法とは異なっていることを承知してもらいたいとお話しがあった。
午後2時、玄関ホールにみんなが集まり、まゆ玉作りが始まる。お母さんに付き添われた子供も多く参加している。先ず本物の繭を皆に見せる。「16メイダマ(まゆ玉)」という大きな団子は既に作ってあり、皆は小さいまゆ玉を作るとのこと。
16メイダマというのは「七難九厄を去る」という験を担いでつけられたとか、他に諸説あるようだが由来は定かでない。材料は今回は羽村産米粉で、ボウルに入れてこね始めたが、かなり力が要りそうだ。まゆ玉の原料は米粉が主だが地方によっては麦或はとうもろこしもあるようで当時の羽村で何を使ったかははっきりした記録は無いそうだ。
練りあがったら棒状に伸ばし、これをしゃもじで3cmくらいに切り、丸く、或はまゆのように細長く丸める。そして25分くらい蒸す。蒸し上がった団子はつやが出ていて皆で試食する。私も美味しく頂いた。
この蒸しあがったまゆ玉を博物館の後ろに建っている「旧下田家住宅」の座敷に運ぶ。そしてみんなで飾り付けだ。まゆ玉を挿す木はここでは梅だが、若木迎えをした際に切り出した木を用い地方によって様々だ。
木に満遍なくまゆ玉とみかんが飾られたところで枝に生糸がかけられたが、当時、生糸は売り物だったので麻糸で生糸を表現していたようだ。また、地方によってはまゆ玉とみかんのほか、お守りや張子の鯛、瓢箪、鈴など賑やかに吊るす所もある。
飾り付けが終わると、だるまを置き、神様にご馳走を供える。まゆ玉飾りをバックに写真を撮ったりしてひとしきり皆で楽しんだあと、本館に移動し、本館正面ホールにもう一つ、全員でまゆ玉を飾り、今日の講習会は終わる。
スタッフの方々の周到な準備と中山さんの的確な司会と指導で参加者は満足のうちに散会する。
米粉をねる
丸めて団子を作る
蒸かし上がりの団子
団子とみかんを枝に挿す
枝に生糸をかける
参観を終えて
「まゆ玉」で辞書を引くと最初は「小正月の飾り物で繭の豊かに出来ることの予祝」と出てくるが、次の項に「のちには柳などの枝に菓子種で作った球を数多くつけ、七宝、宝船、鯛、千両箱、小判、稲穂、大福帳など縁起物の飾りを吊るし神社などで売るものとなった」とある。
今、一般にはまゆ玉というと千両箱ほかを吊るした縁起物の飾りを連想し、何故、繭と関係あるのか東京の若い人たちは知る人も少ないのではないか。
今日の参加者も同様で、まゆ玉作りの体験学習を通じ、地元が育んだ伝統行事をしっかり認識したことと思う。とくに、羽村がかって養蚕で知られた村であったことは想像も出来ない子供達には、自分達の町の歴史を知る道標になるだろうし、この貴重な伝統行事を生み、戦中、戦後の混乱時、或は高度成長期をくぐり抜けて「まゆ玉飾り」を守り続けて来た自分達の町の素晴らしさを誇りに思う時が必ずやって来るだろう。
そういう意味でこの「学習会」は大変優れた企画だったと思う。学習会を参観させて頂き色々とお世話になった中山さんを始めスタッフの方々に厚く御礼申し上げます。
本物の繭を見せる
羽村の小正月
行事とまゆ玉飾り – 正月14日から16日までを小正月と呼んで15日には小豆粥を作って食べる。女の正月ともいった。この小正月にはまゆ玉が座敷に飾られる。13日に飾るのだが、その前にいぬつげの木を山で探してくるか、屋敷内にある梅の枝、または樫の枝の場合は葉を落としたものを用意し、座敷に石臼の穴にさして立てる。
16まゆ玉といって直径5センチに近い大きなものも作ったが、これは名の通り16個と決まっていた。小さなものは制限が無くたくさん賑やかに飾る家が多かった。みかんなども色取りに加えられ、家によっては麻を枝にかけて、蚕の糸か、まぶしに見立てる家もあった。
オシラ様の掛軸のある家は、それもうしろに掛け、だるまも飾る。16日にメエダマ(繭玉)を木からもぎとるがこれをメエダマカキをするという。14日のドンド焼きの時に、先に一部をもぎ取って持って行き、塞の神の火で焼いて食べ無病息災を祈った。(はむらの民俗誌より抜粋)
おしら様
日本の東北地方で信仰されている家の神で、一般には蚕の神、農業の神、馬の神とされる。神体は、桑の木で作った1尺程度の棒の先に男女の顔や馬の顔を書いたり彫ったりしたものに、布きれで作った衣を多数重ねて着せたもの
まゆ玉の由来
元来は東北や中部地方で広く行われていた餅花の習俗から発したものといわれる。餅花は花木の枝に餅や団子をつけて、実った稲の穂が垂れたように作って飾るもので豊作を祈るための行事だった。門松が大正月の飾りとなってからは、餅花は小正月の飾りの代表になった。この餅花が養蚕の隆盛につれて、蚕の安全を祈る目的で繭の形をした団子を挿すようになってまゆ玉と呼ばれるようになり、これ等飾りものの総称となった。
基本情報
日程: 1月小正月前の土曜日
アクセス: JR青梅線・羽村駅
場所: 羽村市郷土博物館(羽村市羽741)
連絡先: 042-558-2561