【鎌倉〜小田原】源氏と平家、鎌倉幕府ゆかりの地の歴史観光

神奈川県鎌倉市。源頼朝が鎌倉幕府を開き、初めて武士による政治が始まった土地。ここには今でも多くの歴史が眠っています。

幕末・戦国時代と共に人気のある源平、鎌倉幕府の時代。今回は源氏ゆかりの鎌倉・小田原エリアをご紹介していきます。


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源氏と平家とは?

頼朝・義経、清盛など、大河ドラマの主役にもなった英雄たちは一族の誇りと覇権をかけた戦いを繰り返していました。

もともと天皇を始祖とする由緒ある家系であった源氏と平氏(平家)は時には手をとり、助けあった事もありながら、最後は対立する事になり壇ノ浦の合戦で平氏を滅ぼし、源氏が時代の勝者となりました。

頼朝と義経

平家を討ち果たした源氏ですが、身内関係はボロボロでした。木曾義仲と源頼朝は、同じ源氏でありながら対立関係である頼朝と義経の兄弟対立など、一族には内紛が絶えませんでした。

そして、義経は鎌倉から遠く離れた奥州平泉にて、自らその生涯を閉じてしまいます。

鎌倉幕府の誕生

1192年〜1333年の141年続いた鎌倉幕府。源頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開きました。

初の武士による政治がこの時から始まり、19世紀中ごろまで続く武家政権の基盤が作られました。幕府を開いた頼朝は、幕府の組織を整えるとともに都市づくりを開始し都市づくりがほぼ完成した1230年頃になると、幕府は全盛期を迎え、鎌倉は政治・軍事・外交・文化など、あらゆる面で日本の中心地となっていきました。

平家との闘いで最大の功労者である義経を兄・頼朝はその手を緩める事なく、追い詰めていきました。最終的に義経は自害をし、悲運の将として語り継がれていきます。

頼朝はなぜ、義経を討とうとしたのか。鎌倉の地で一緒に過ごすことは考えていなかったのか。諸説は多く残っていますが、その真意は謎に包まれたままです。

源氏ゆかりのスポット一覧

鎌倉エリア

日本を代表する観光地である鎌倉。大仏やあじさい、寺院などの有名スポットとあわせて鎌倉幕府にまつわる歴史スポットも満載なエリアです。

源氏山公園

武神として崇められた義家がこの地に旗を立て戦勝祈願をしたことから源氏山と呼ばれるようになりました。現在は公園として整備され、源頼朝像が鎮座し、桜、あじさい、紅葉の名所として知られています。

〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目
JR・江ノ電「鎌倉駅」西口改札から徒歩約20分

鶴岡八幡宮

源頼義が由比の浜に氏神である岩清水八幡宮を勧請したことに始まります。頼朝は鎌倉入り後、すぐに現在の地へと移動しました。現在は神道のみの施設となっていますが、源頼朝が創建した鶴岡八幡宮は神仏双方を祀っていました。

〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
JR・江ノ電「鎌倉駅」東口から徒歩10分

荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)

鎌倉幕府の鬼門に位置し源氏の崇敬を受けた日本三古天神の一。現在の本殿は1316年に建てられた鶴岡八幡宮の旧本殿であり鎌倉に現存する最も古い建築物になっています。

〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂74
JR・江ノ電「鎌倉駅」から鎌倉宮(大塔宮)行きバス「天神前」下車徒歩3分

六角ノ井

源為朝伝説の井戸。身の丈2m以上、切れ上がった眼に天下無双の強弓。平清盛を始め名だたる武将たちが怖じ気づいたという伝説の武人の矢が刺さって出来たという井戸です。

〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座6-23-7
JR・江ノ電「鎌倉駅」からバス「飯島」下車徒歩5分

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小田原エリア

戦国大名の北条家や小田原城が有名なエリアですが、ここにも源頼朝ゆかりのスポットが少しだけあります。

石橋山古戦場

源頼朝が治承4年(1180年)8月、平氏方に敗れてしまった地。この後に真鶴町岩海岸より、房総半島に落ち延びます。

〒250-0022 神奈川県小田原市石橋
JR「小田原駅」からバス「石橋」下車徒歩13分

源頼朝船出の浜

治承4年(1180年)8月、石橋山合戦に敗れた源頼朝は真鶴町岩海岸より敗走。千葉県竜島に上陸して再起を図り、わずか半月後には大軍を率いて鎌倉入りをしました。

〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩
東海道本線「真鶴駅」からバス「岩」下車徒歩5分

編集後記

京都と並んで古都として代表的なエリアである鎌倉。宿敵を討ち果たし、弟までを手にかけた源頼朝はこの地で何を思ったのか。鎌倉に吹く潮風に身を委ねながら、思いに身を馳せてみてはいかがでしょうか。

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