100人以上の地域の女性が担ぎ手として参加!「荻窪白山神社祭礼」

ここの神様のお告げで社前に生える萩(ハギ)で作った箸で食事をしたら歯痛が治った、という言い伝えがある荻窪白山神社。

その祭礼は毎年9月7日〜8日に確定していて、7日には神輿渡御、夜は奉納演芸、8日に例大祭神事が行われ、里神楽が奉奏される。この神社祭礼の呼び物は女神輿で7日午後、荻窪駅南口中通り西武信金横の神酒所から出御し、宮出し後、町内を廻っている男神輿と合流して共に氏子町内を廻り夕方神社に還御する。


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宮出し

宮出し

午前8時、神輿御霊入れの儀式が始まる。宮司一拝に始まり、お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠と進み、宮司一拝で終わる。御霊入れの儀は、例えば神輿を幕で包み、神霊を神輿に入れる形が良く見られるが、ここでは降神の儀として通常の発興祭を御霊入れの儀としている。

その後、祭礼委員長挨拶、神輿責任者の注意などがあり宮出しとなる。木が入って神輿が上がり、境内を元気良く1周して神社を出てゆくが、先頭は直径149cmで府中の大国魂神社の太鼓につぐ都内第2の大きさといわれる大太鼓だ。

そして井草囃子を賑やかに奏でる囃子車、猿田彦と続き、神輿がこの神幸行列のシンガリをつとめる。平日しかも午前8時40分から夕方6時までという残暑厳しい長帳場、よくぞこれだけの担ぎの応援が得られるものと感心する。午後2時、駅南口中通りの神酒所で女神輿と合流するが、女神輿を迎えて大いに張り切り、狭い中通り一杯に神輿差し上げを幾度も繰り返し、まさに巡行前半のクライマックスだ。

神社(女)神輿の出御

神社(女)神輿の出御

台座2尺、元浅草・13代南部屋五郎右ヱ門作、7日午後2時から荻窪駅西武信金南口支店から出て男神輿と合流する。

白山神社に祀られている女神・伊邪那美命(いざなみのみこと)にちなみ、1979年から始められたものだ。女神輿は、男神輿が到着するまで、信金前の狭い空き地に据えられているが、外人も交え、時間と共に女担ぎ手が続々集まってくる。例年約100人(2009年は140人という)の地域の主婦、学生、会社員の女性が担ぎ手として参加する。

女神輿は新橋烏森神社でも見たが、ここでは100人以上の女性全員が、揃いの柿色の華やかな法被を着ているだけに印象が強烈だ。「白山神社女みこし」と書かれた黄色い大団扇「祭礼」の赤い大団扇の後に猿田彦が続き、全員が気持ちを揃えた甲高い掛け声で練り歩いて行く。

その後には100人を超す交替の柿色軍団が続き、そのさまは見る人を圧倒する。信金前は400人以上の人ごみで混雑を極め足の踏み場も無い。

出御前、女神輿の周りは外人も加わり大賑わい

出御前、女神輿の周りは外人も加わり大賑わい

大団扇と猿田彦命に先導される女神輿

大団扇と猿田彦命に先導される女神輿

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100人を超す交代要員の柿色軍団が続く

100人を超す交代要員の柿色軍団が続く

荻窪の町を練る神社(男)神輿

荻窪の町を練る神社(男)神輿
台座、2尺5寸(76)昭和3年、行徳の後藤直光によって製作された延軒屋根、胴や台座の木彫が自慢の勾欄造りの神輿。

荻窪白山神社

荻窪白山神社

祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)、 加賀の霊峰白山の霊石を神体とする白山信仰の神社で、もと下荻窪村の鎮守。古く文明年間(1469-1486)に荻窪に勧請され、五社権現とも称された。

爾来、交通経済の要所荻窪の安寧と豊饒を守り続け、いま姫神の御神力偉大なりと数多くの人々の参詣をうける神社である。現在の社殿は昭和43年に建て替えられたもの。

荻窪の地名の由来

由来は、光明院古寺にあり、ここに「荻窪の地名発祥由来の寺」と記されている。荻窪の「おぎ」は「オギ」という草の名前に由来し、古い言い伝えによると、奈良時代の和銅年間に1人の旅の行者がこの地に来た時、付近一帯のくぼ地に自生していたオギ(荻)を刈り取って草堂を作り、背負って来た観音様を安置した。

この草堂が「荻堂」と呼ばれ、それが「荻窪」の地名の起源になったと言われている。

基本情報

日程: 9月7〜8日
アクセス: JR中央線・総武線・地下鉄丸ノ内線・東西線 荻窪駅
場所: 荻窪白山神社(杉並区上荻1-21-7)
連絡先: 03-3398-0517

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